2013年04月29日

3月の酒量報告

 酒量を日本酒に換算して、◎…3合以上、○…1合以上3合未満、△…1合未満、×…無飲酒。
 1日…○、2日…○、3日…○、4日…◎、5日…◎、6日…△、7日…○、8日…◎、9日…○、10日…○、11日…◎、12日…○、13日…◎、14日…△、15日…◎、16日…◎、17日…△、18日…○、19日…◎、20日…◎、21日…◎、22日…△、23日…◎、24日…◎、25日…×、26日…◎、27日…×、28日…◎、29日…△、30日…◎、31日…△。
 以上、◎…15日、○…8日、△…6日、×…2日。
 ◎を3点、○を2点、△を1点、×を0点としての、ひと月の合計点は67点である。今月はかなり高い点数であった。(1439)
posted by 矢島正見 at 15:36| 我流雑筆

3月のご報告(3月1日〜31日)

 活動…社会安全研究財団助成事業概要。中大(雑用)。犯罪関連ネットワーク会議。日本犯罪学会プログラム委員会。東京犯罪研究会。中大(雑用)・斎藤先生退職送別会。第7回性調査報告会。中央大学学員会幹事会。神奈川県児童福祉審議会権利擁護部会。神奈川県児童福祉審議会総会。卒業式・卒業証書授与式。一般財団法人青少年問題研究会全体会。警察政策研究会。那須先生墓参り・増田先生退職記念会。
 読書…『社会科学のリサーチデザイン−定性的研究における科学的推論−』。海音寺潮五郎『田原坂』。吉村昭『破獄』。『英傑の日本史』。吉村昭『羆嵐』。『武士の誕生』。『葬られた王朝―古代出雲を解く―』。『デュルケムと女性、あるいは未完の『自殺論』―アノミー概念の形成と転変―』。
 執筆…『青少年問題』(第650号)校正。「社会化と逸脱」校正。「「本能寺の変」の変」執筆。「日本誕生―古代日本史私論―」執筆。2012年度特別研究活動成果報告書。『改訂版 戦後日本青少年問題考』校正。「立ち直り支援と多機関連携」(『青少年問題』第651号)執筆。
 私的活動・出来事…永野歯科。柿木伐採。早期胃がん検診。虎轍学芸会。虎轍お泊り。メルアド整理。花見。メール整理。(1438)
posted by 矢島正見 at 15:35| 我流雑筆

2013年04月25日

通勤ルート変更

 大学に行く行路を変更しようと思っている。横須賀線に武蔵小杉駅ができたからだ。
 今までは、保土ヶ谷⇒横浜⇒東神奈川⇒橋本⇒京王線多摩センター⇒モノレール多摩センター⇒中央大学・明星大学、であった(ルート@)。
 新たに、保土ヶ谷⇒武蔵小杉⇒登戸⇒新百合ヶ丘⇒小田急多摩センター⇒モノレール多摩センター⇒中央大学・明星大学が加わり(ルートA)。
 さらに、保土ヶ谷⇒武蔵小杉⇒稲田堤⇒京王線稲田堤⇒京王線多摩センター⇒モノレール多摩センター⇒中央大学・明星大学が加わった(ルートB)。
 時間的に、まちまちであるが、おおむねルートAとルートBがやや早い。料金はルートAが一番安く、ルート@が一番高い。その差は100円である。
 ルート@は慣れているという利点がある。ルートAは複雑で間違いやすく、普通と急行・特急での差が激しい。ルートBはJR稲田堤から京王線稲田堤まで、改札を出て街中を歩かなくてはならない。雨風の日は不便だし、帰りは誘惑が多い(今のところ誘惑にすべて負けている)。
 4月・5月は試行期間として、色々と試みることとする。(1437)
posted by 矢島正見 at 23:07| 我流雑筆

2013年04月23日

始まった

 大学が始まった。開始第一週は、問題もなく通過した。一年数か月ぶりの講義も演習も、それなりにこなした。
 しかし、まだ「久しぶりー」という感じである。「あれもやっておかなくては」「以前はああしたんだっけ」なんて、忘れていた記憶がだんだんとよみがえってくる。
 慣れるのは、5月も末になったころであろう。(1436)
posted by 矢島正見 at 23:58| 我流雑筆

2013年04月14日

時代区分

 「歴史小説のわからないところ@」で、江戸時代を「初期」「前期」「中期」「後期」「末期」と表現した。しかし、私に明確な時代区分があって書いたことではない。
 「江戸時代初期」は3代将軍家光までか。とすると、1603年から1651年までとなる。およそ50年間である。ここで徳川幕府は完成する。
 「江戸時代前期」は4代将軍家綱から5代将軍綱吉までとすると、1651年から1709年までとなる。60年間ほどだ。幕府崩壊の根は既にこの頃からできている。財政の悪化と政治の官僚化・儀礼化である。長期展望の改革が必要であった。
 「江戸時代中期」は6代将軍家宣から9代将軍家重までとすると、1709年から1759年まで50年間となる。表面的には実に平和な時代であった。ただし、すでに武士の時代は終わりつつある。幕藩体制の大手術が必要であったが、吉宗の改革は内科の治療にすぎない。
 「江戸時代後期」は10代将軍家治から12代将軍家斉までで、1759年から1837年までの、およそ80年間である。この時期が一番長い。天下泰平の時代であった。この時期に日本は経済的にも政治的にも科学・技術的にも世界の後進国と化した。さらにマルクス的に言えば、生産力と生産関係が決定的に分裂・相克し、下部構造が上部構造を崩壊させつつあった。
 そして、「江戸時代末期」は、13代将軍家慶から15代将軍慶喜までで、1837年から1868年までの30年間である。家慶の無能さ、幕藩体制の機能不全、幕府官僚の形骸化、危機意識の欠落、天皇神話化、等々が顕在化する。
 以上、さほどの論拠があるわけではないが、区分してみた。(1435)
posted by 矢島正見 at 12:57| 我流雑筆

2013年04月12日

歴史小説のわからないところC

 歴史小説では、年齢もわからない。
 「おちよは15になる。少女から娘になる年頃だ」。さて、「おちよ」は何歳か。
 江戸時代であるなら、歳は数えである。大晦日(必ずしも12月31日ではない)に生まれた子は、その日で1歳となり、翌日の元旦には2歳となる。生まれて2日目に2歳だ。
 したがって、もし満15歳であるなら、数えでは13歳か14歳だ。
 15歳と13歳ではかなり違うし、発育の良い今の15歳と発育の良くなかった江戸時代の13歳ではさらに異なる。
 この点が、歴史小説を読んでいてもわからない。(1434)
posted by 矢島正見 at 23:29| 我流雑筆

2013年04月06日

歴史小説のわからないところB

 わからないのは月だけでなく、年中行事もわからない。時代劇に出てくる「正月」とは、本来なら「旧正月」のはずであるが、読んでいると必ずしもそうでないことがある。
 たとえば「端午の節句」。5月5日だ。歴史小説では旧暦か。菖蒲湯に入るというのでは、旧暦でおかしくない。しかし、旧暦ではすでに梅雨に入っている。となると、こいのぼりはふさわしくない。もっとも、屋外のこいのぼりが普及したのは明治以降のことなのかもしれない。
 たとえば「七夕」。神奈川県の平塚では新暦の7月7日に行う。したがって、まだ梅雨が明けず、星は見えず、イメージは暗い。仙台は旧暦の7月7日に行う。夜空には満天の星が輝く。まさに彦星と乙姫再会の舞台背景が出来上がる。
 歴史小説では、これらのことがわからない。(1433)
posted by 矢島正見 at 00:28| 我流雑筆

2013年04月03日

歴史小説のわからないところA

 「春先のこと、その男は江戸を立った」となると、季節がわかる。季節は時代を超えてほぼ不変だからだ。
 ところが、「二月初旬にその男は江戸を立った」ではわからない。時代が江戸時代であるならば、当然旧暦を使うべきであろう。となると、江戸を立ったのは「春先のこと」である。今の太陽暦で言えば三月中旬といったところだ。ところが太陽暦の二月初旬であるならば、もっとも寒い時期である。季節が時代小説ではわからないことが多々ある。(1432)
posted by 矢島正見 at 23:18| 我流雑筆