2009年03月26日

卒業の日

 大学教員生活28年。最初の10年間は大正大学。
 ここでの卒業式の日は、卒業式、卒業証書授与式が行なわれ、夕方、教員は卒業生の手配したハイヤーに分乗し、ホテルの会場に向かう。
 ホテルの撮影室にて、教員と社会学科卒業生一同で記念撮影。その後、卒業生に迎えられてパーティ会場へ。パーティは立食。2時間ほどして、記念品が各教員に贈呈されて、謝恩会はお開き。
 2次会は近くの居酒屋を貸切。8割ほどの学生が参加する。それが終わるのが夜の10時過ぎ。
 部やサークルの呑み会の大半はここからスタートする。その前に行なうことは、学科の謝恩会の妨げになるということで禁止。
 3次会は、残った者が行なう。通常、3つ4つのゼミ合同となる。これが終わると、終電車はもはやない。4次会は始発電車が動き出す頃まで続く。
 大半の教員は2次会で帰る。近場にいる教員は3次会の途中までいる。一番若かった私は4次会まで付き合い、始発で帰った。
 中央大学に来た。当時、社会学と社会情報学合同の謝恩会が行なわれていた。ただし、教員からも会費を取った。しかも、卒業生よりも会費が高かった。非常勤の先生からまでも会費を取ったのには、あいた口が塞がらなかった。もちろん、記念品などは贈呈されない。
 2次会は、ゼミ単位ではなく、クラス単位で行なわれていた。これが4、5年続き、なくなった。
 その後は、クラス単位で行なわれたり、ゼミ単位で行なわれたりと、まちまちであったが、もはや形式的にも「謝恩会」ではなくなり、単なる卒業呑み会となっていた。しかも、部・サークルの呑み会が優先されて、参加者も少なかった。
 7年ほど前から、矢島ゼミだけで卒業の呑み会を行なうようになった。5年ほど前から3年生が合流し、いつしか部・サークルをまねて「オイコン」と称するようになり、そして、場を設定するのは3年生の役割と化していった。
 昨日、卒業式があった。そして、とうとう、そのオイコンもなくなった。教員生活28年間、酒を飲まない卒業式は始めてであった。
 もちろん、帰りがけに一人で呑みに行った。おかげさまで、今日は朝まで酒が残っていた。(1005)
posted by 矢島正見 at 12:11| 我流雑筆