2005年10月31日

5→1→5

 5つの仕事を抱えている。期限はそれぞれ違うのだが、期限順に処理することはあまりない。
簡単なことから処理していく。そうしてようやく1つ仕事を残すところまでいく。
これから一番の大物を手がけようとする矢先、ドカドカッと、また仕事が入ってくる。仕事が5つになる。そこで簡単な仕事から手がけていく。
結局、1つは期限が過ぎても、まだ手付かずで残ってしまう。
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2005年10月26日

めっきり秋らしく

 まもなく11月。日本シリーズもそろそろ終わり。今日はどんよりとした天気。そして、めっきり秋らしくなってきた。前半の「夏から秋」が終わり、後半の「秋から冬」に入った。
下着は、ランニングから半袖になり、今は長袖。シャツは半そでから長袖。背広は冬物に。きょうから首にタオルを巻いた。
夕方から出かけるが、おそらく背広のしたにチョッキかカーディガンを羽織ると思う。
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2005年10月24日

日本犯罪社会学会大会

 日本社会学会大会と同日に日本犯罪社会学会大会が開催された。当然私は後者に参加。社会学会への所属意識はほとんどないので。
21日(金)、午後から大阪樟蔭女子大にて一般公開のシンポジウム。その後、新旧理事会。この理事会をもって、3期9年の常任理事も終了。
ただし、新理事会にて監事にさせられてしまった。もっとも年に1回会計監査をするという閑職なので、ありがたいが。
なお、次年度大会開催校は中央大学。ただし、開催委員長は藤本先生。(私は、出来る限り、何もしないでいるつもり。)
夜は、法酒とマッコリで韓国料理。
翌日(22日・土)は、午前、ミニシンポの報告者、昼食時は編集委員会、午後はラウンドテーブルディスカッションのコーディネーター兼司会。かなり疲れたが、これにてお役ごめん。その後、総会、そして懇親会。
23日(日)は寝坊。遅れて会場へ。午後のシンポジウムを聞いて、閉会。大阪をあとにして、我が家に着いたのは9時少し前。
これから、ミニシンポとラウンドの報告原稿を書かなければならない。
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2005年10月18日

よく寝た

 9時に目が覚めて、それからまた眠ってしまい、11時まで寝ていた。
目覚めの気分のよさ。疲れが一気に吹き飛んだ感じだ。こういうのを週一回は経験しないといけない。
いろいろとあっても、まずは良く食べ、良く飲み、良く出し、ゆっくり風呂に入り、そしてぐっすり眠ることだ。
今日は実感。
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2005年10月17日

ホームページ

 中央大学文学部の教員で、個人のホームページを持っている先生は、国文の宇佐美先生と渡部先生、日本史の前川先生、東洋史の新免先生、哲学の土橋先生と中村先生、社会学の矢野先生、社会情報学の齊藤先生と松田先生、教育の森茂先生、心理の都筑先生の計11名である。
もっとも私のように、中大とリンクしていない先生がいるかもしれないので、11名以上としておこう。
今の時代では、随分少ないように思える。もっとあってもいい。
そのホームページであるが、11名の先生、それぞれが個性的な内容を示しており、ついつい、覗いてしまう。
特に、日記やエッセイ風の軽い読み物があったり、写真があったりすると、楽しくなり、しばらくすると、再度訪れてしまう。
訪問数では、24万回を超える渡部先生がトップ。とにかく写真がすごい。次が都筑先生の16万回超。これは実にバラエティ。
もしよろしかったら、訪れてみてはいかがか。私のホームページから中大にリンクしているので。
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2005年10月13日

文学部長選

 本日文学部長選が行われた。われわれの押した先生は惨敗であった。文学部保守本流の大勝であった。
これで選挙の季節も終わり。私は、目立ちすぎたので、これからは大腸癌患者として、当分は静かにする。
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2005年10月10日

財・青少年問題研究会F

 7月から平間夫人の代わりに矢島文代(妻)を雇うことにした。商業高校出で簿記2級という。ただし40年前のこと。
6月末から来て7月末まで見習いの無給。家にかなり仕事を持ち込んで、帳簿の仕組みとエクセルを勉強していたようだ。
8月からは本格的に経理担当。9月からは船山さんが辞めたので、船山さんの分も担当。しかも、引越しの準備で大忙し。週3日通い、残業。さらに家でも週十数時間仕事していた。
なかなかの張り切りよう。しかも、私が言うのはおかしいが、それなりに有能。
ただし、平間、平間夫人、船山さんの3人の抜けた分を、文代、麦島で補うのはやはりかなり無理。いま一人週1日でも来ていただく必要がある。
よって、まだまだ人材のほうは、安定化していない。
軌道に乗り、やっていけるという目処が立ち、安定化するのは、来年の5月である。それまでは、麦島4万、文代5万(共に交通費込み)、私無給という信じられない薄給でやっていくしかない。
以上、財団法人青少年問題研究会報告である。
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2005年10月09日

財・青少年問題研究会E

 財政の確保は、Dに述べたとおり、それなりの展望を描けることが出来た。
さらに、来年度からは、月刊誌を季刊誌にして、雑誌編集の仕事の軽減を図った。
これにて、50年間続いた月刊誌に終止符を打つことになるが、そして収入も大幅に減るが、『青少年問題』という雑誌名は残るし、仕事も随分楽になる。
雑誌編集の曽我さんには、3月号までの編集をお願いした。当初、すぐにも辞めそうであった曽我さんも、3月号発行まではいてくれることになった。
季刊誌の編集は、どなたかに頼もうと、今人を探しているところである。
もし見つからない場合は、私が全ての編集業務を引き受けることになる。これは大変なことであるが、季刊誌であれば、やってやれないこともない、と思っている。
問題は、編集以外の人材である。
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2005年10月08日

財・青少年問題研究会D

 金策に駆けずり回り、頭を下げ、ようやく、一人、大物の支援を得ることが出来た。持つべきものは友である。
彼の登場がなかったならば、今頃は解散にむけての準備の最中であったはずである。
とにかく、彼との話し合いで、彼の関連のビルに引っ越すことになった。
これで家賃年間二百数十万円が浮くことになる。これだけでも、再生の大前進である。
また、彼の別の関連ビルに月刊誌の在庫と図書を保管してもらうことになった。
しかも、引越しに必要な経費もいただいた。
こうして、@月刊誌と在庫の図書の運搬、A本体の引越し、Bそして最後の不要となったすべての廃品処理と、三段階の全てを9月いっぱいで完了させ、現在の新事務所で再スタートとなった。
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2005年10月07日

財・青少年問題研究会C

 6月の理事会をもって常務理事をおろさせていただく、という申し入れが平間氏からあった。
と同時に、平間夫人も6月いっぱいで辞め、船山さんは2ヶ月遅れの8月末をもって辞める、ということになってしまった。
70歳を過ぎた平間氏は経営していた印刷会社を他の人に譲り、3人とも故郷で未だ母親健在の地、仙台に帰ることになったのだ。
無給で経営全般を担当していた平間氏の代わりなどいない。正規に雇ったら年間300万払わなくてはならない。平間夫人、船山さんの代わりも探さなくてはならない。しかし、仕事は複雑。そう見つかるわけではない。もちろん、高い給料は払えない。
人材的にも財政的にも窮地に立たされてしまった。しかも、曽我さんも辞めると言い出した。内閣府は月刊誌をいっこうに買い入れてくれない。それどころか、総見直しをするという。これでとうとう解散か、という事態に陥ってしまった。
解決は人材の確保と財政の確保である。もし、その2つが出来ないようなら、解散である。
で、6月からスポンサー探しに奔走した。
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2005年10月05日

財・青少年問題研究会A

 当時、理事長だった麦島氏から理事だった私に、財政事情が語られ、「理事長になっていただきたい、さもなければ財団を解散したい」と言われ、引き受けることにした。
幸いに、麦島氏の知人の知人である、経営のプロ平間氏の全面的な協力を得ることが出来、2001年6月、財団の再建が始まった。
2名の職員に辞めていただき、平間夫人、平間夫人の妹である船山さん、編集担当の曽我さんを採用し、理事長・矢島(編集担当)、常務理事・麦島(内閣府関係担当)、常務理事・平間(営業全般担当)、経理・平間夫人、庶務・船山、編集・曽我の5名でスタートした。
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財・青少年問題研究会B

 人件費、印刷費、家賃、等々、削れるところは、削れるだけ削り、その年、単年度では赤字を克服したものの、雑誌の売上部数は回復するどころか、ますます減少し、500万円の累積赤字をなくすのは、かなりの困難であった。
結局、辞めていった方二人の未払い給料数か月分を完全に支払ったのは3年目になってからである。もちろん、まだまだ累積赤字は残っていた。
4年目、3000万円のイベントを行うことにした。このイベントで1000万の収益を上げる、ということであったが、捕らぬ狸のなんとやら、集まった資金は1200万強。利益はあったものの、財政を潤すにはあまりにも少ない額であった。
そして今年の春を向かえる。
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2005年10月03日

財・青少年問題研究会@

 財団法人青少年問題研究会は、設立50年を誇る、青少年問題関係の財団では最古の歴史ある財団である。
所轄は、総理府→総務庁(青少年問題対策本部)→内閣府である。
主な事業は、月刊誌の発行と、補導手帳の頒布である。
月刊誌『青少年問題』は通巻600号を超えて、現在に至っている。
ところが、他の財団は年間予算が億単位であるというのに、当財団の年間予算は1500万ほどである。
いかに零細の財団であるかよく分かる。こんなところには、天下りなど絶対にありえない。
そんな財団でも、20年ほど前までは、それなりに羽振りがよかったらしい。それが徐々におかしくなり、バブル崩壊後、国家と地方自治体が多額の赤字財政に転化してからは、急激な財政難に陥り、2001年、私が理事長になったときは、既ににっちもさっちもいかないほどの状態になっていた。
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2005年10月02日

圧勝

 本日、中央大学学長選挙が行われた。
永井先生の文学部の推薦人となった私にとっては実に気がかりな選挙であったが、開票してみると、永井先生の圧勝であった。
とにかく、まれに見る高投票率。こんなこと、おそらく何十年もなかったことではないか。そして、ほぼ400票対200票と、大差の開いた得票。これほどの圧勝もまた数十年来なかったことではないか。中央大学の歴史に残る学長選であった。
これで、ようやく肩の荷が降りた。正直、勝った喜びよりも、無事終了したという安堵感のほうが大きい。最低限の責任は果たした、ということだ。
なお、今回の選挙では、いろいろと勉強させていただいた。
ひとつは、えげつない電話、得体の知れない怪文書の飛び交い。最高学府の先生方であっても、窮地に追い込まれるとこのようなことをするのかと、なんかすごく感動してしまった。
今ひとつは、選挙参謀の方々の気配り、努力、そして団結性のすごさ。選挙に臨むとは、こういうことなのかと、そのリアリティさに圧巻させられた。
渦の中に巻き込まれながらも、社会学者のさが。醒めた目で、興味深く、観察させていただいた。
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2005年10月01日

9万回ヒット者

 9万回ヒット者が判明しました。中大卒の若い女性でした(ただし、社会学科ではありません)。
ところが、その方は、何も要らないですと、けなげにも、お断りしてきました。
そこで、申し出どおり、デートも粗品進呈も見合わせることにしました。
さて、次は待望の10万回。今回は、99999回、100000回、100001回と、3連続のビッグチャンスです。
景品も、超豪華(といってもたかが知れているが)とします。
なお、私の予測では、来年の3月末あたりです。
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