2005年01月30日

告白(59)女25・歌と語りの会

 体育祭終了後、オオハタが「歌と語りの会」を作ろうと言い出した。「赤組の1年と2年の女子のかわいい子だけ誘って、男は、アキヤマとヤジマと僕とで」と言う。「歌は僕、アキヤマは顔で、語りはヤジマの担当で・・・」と言う。「くだらねえ」「キザもいいとこ」と思ったが、付き合うことにした。
昼休みに、「名前を呼ばれた方は、放課後○○にお集まりください」なんて勝手に放送し、女の子を十人ほど集め、とにかく強引に会を作った。しかし、3回ほど集まって解散。当たり前である。
posted by 矢島正見 at 00:00| 我流雑筆

2005年01月26日

3年経過

 手術後、3年が経過した。風邪は引いてしまったが、今のところ生きている。5年経過まであと2年。マラソンでたとえるならば25キロ通過。あと17キロといったところ。
術後当時、5年後の生存率は60数%であったが、3年経過した今では95%以上になっているのではないかと思える。
今しばらくの自重である。とにかく、ストレスの溜まることはしないこと。仕事も地位も名誉も金儲けも女も酒も、何でも「楽しいこと」が大前提である。
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2005年01月23日

風邪

 風邪を引いてしまった。喉が痛くて、咳が出て、微熱もある。
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風邪A

 鼻水も出てきた。熱は37度前後。
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2005年01月18日

告白(58)女24・体育祭A

 当日、仮装行列では他の3つの組はグランドを周り歩くだけのこと。
我々の赤組も十字架を背負ったイエスがローマ軍にいたぶられて歩き、御輿に乗った仏陀が弟子を従えて歩き、アラビアのカワイコちゃんがシズシズと歩き・・・。
アラビアのカワイコちゃんが向こう正面までさしかかったとき、合図で(もちろん私の)列から離れ、中央へ。
形をつくり静止、そこで音楽。十数人の女の子が踊りだした。肩を出し、太ももをあらわにして、色っぽく。
ただ歩いているだけの組は、実に馬鹿みたいになった。ショーはショーに徹すること!。これである。
校長以下、採点委員の先生方は大喜び。(本部テントの横で指示を出していたのでよく分かった。)
で、もちろん、仮装行列は赤組が最高点。結果が放送されたとき、女の子の一人が感激のあまり私に抱きついてきた。みるまに女の子たちの抱きつきの輪。その中心に私。もう完全にハーレム状態。ウハウハである。
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2005年01月16日

告白(57)女23・体育祭@

 我が高校は毎年5月の下旬に体育祭が行われる。1年のときは写真部員として撮影担当となり、2年のときは生徒会で主催側となったので、まったく競技には参加しなかった。
3年になって初めて参加。組は赤、白、青、黄と4つあり、我々は「赤組」。組には騎馬戦大将、応援団長、仮装行列担当、旗製作担当、やぐら設置担当、美術製作担当、等がいたが、私は「顧問」。
仮装行列では世界三大宗教を取り上げることになったのだが(多数決で決定)、実につまらない。
そこで、イスラム教では出場者の全てを女の子にして、アラビアの踊りを踊らせることにした。
体育の女の先生に踊りの振り付けを頼み、音楽の先生にレコードを選んでいただき、数分の長い曲を1分半ほどに編集し、女の子に衣装を作らせた。
さて、衣装合わせの日、教室の窓を全て閉め切り、男は私、アキヤマ、オオハタの3人だけ。私好みの女の子を指名して、「はい、着替えて」。
何と彼女スカートをスーッと脱いだ。これにはびっくり。ただし、スカートの下にはブルマーを履いていた。それでもニョキッと出てきた太ももに感激。
上を脱ぐときはさすがに後ろを向かされたが、振り向いてこれまた感激。
私の指示は、「両肩を出すこと」「へそを出すこと」「太ももまで割れていること」であった。
肩から上があらわになり、さらにへそから腰があらわになり、太ももチラリには、もう生つばごっくん。
彼女恥ずかしそうに下を向いている。女の子たちが「これでは露出過ぎる」と大反対。アキヤマもオオハタも、「他の男たちに見せることはない」と言う。
で、肩は片方だけ出して、へそ出しはやめることにした。
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2005年01月11日

告白(56)女22・クソバカ女ども

 高一の夏休み明けの頃だったと思う。当時、房総西線にはタチの悪い女子高校生がうじゃうじゃといた。朝の満員電車でそんな女3人組(多分3年生)とぴったりとくっ付いてしまった。
やけに制服の胸をはだけていて、ひょいと下を見れば、胸の谷間とブラジャーが見え見え。前を見ても、右を見ても、左を見ても、胸はだけの谷間ブラ。
こんな女と関わったら大変と、千葉に着くまで、じっと天井を眺めていたのだが、この体勢も実に苦しい。当時はエアコンなどなく、もう暑くて、汗だく。
ようやく千葉について開放されたのだが、その際の、彼女らのセリフがむかついた。「ビビッてよー、天井ばかり見てやんの」。あったまに来た!!。
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2005年01月06日

現代社会研究

「現代社会研究」の採点終了。受験生187名。成績、「A(90点以上、旧A、合格)」---5%、「B(80点以上、旧A、合格)」---44%、「C(70点以上、旧B、合格)」---16%、「D(60点以上、旧C、合格)」---21%、「E(60点未満、旧D、不合格)」---14%。以上である。
ほぼ半数の者が「旧A」なのだから、やはり甘い。「ほとけの矢島」である。
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2005年01月02日

続・新年のご挨拶

 あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
昨日のご挨拶が、仕事のことばかりで、味も素っ気もないので、本日は、昨年1年間の余暇のことについて書きます。
1月はゼミの飲み会、女装バー「Duo」でかわいいおかまちゃんとウハウハ、2月はゼミ卒業1泊旅行でぴちぴち女の子とウハウハ、3月は女房と1泊旅行でウヘウへ、4月は小学校からの仲間と1泊旅行。
さらに4月からは新ゼミ。3年女子10名、男子3名、4年女子11名、計、女子21名、男子3名の総勢24名。女子21名はいい女ばかりで全員私の愛人候補。
11月、熊本・天草・雲仙3泊4日の旅行、12月、京都1泊旅行。その間、三遊亭竜楽独演会に数回、愛人・愛人候補生たちとの戯れ数回。
酒を3合ほど飲んだ回数は101回。
以上、それなりにウハウハと楽しんでいるのでした。
posted by 矢島正見 at 00:00| 我流雑筆

2005年01月01日

新年のご挨拶

 新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
さて、昨年をごく簡単に振り返ってみることにする。
1月は、大学の教員にとって最も忙しい月。試験の採点、ゼミ論・卒論・修論の査読、手作りゼミ論集の作成、学部試験、卒論・修論の口述諮問、学部入試の採点と試験監督、大学院入試の採点と面接試験、次年度の講義要項の作成である。
こうして2月中旬となる。昨年はここから忙しかった。2つの調査報告書の分析と執筆があり、これがかなりの大きな仕事となり、結局出来上がったのは3月末。
4月に入り、ほっと一息。ぴちぴちの1年生とウハウハのゼミ生に囲まれて、しばし、生気を取り戻す。
連休に、「社会病理学論・覚書」を書き出すが、途中で忙しくなり、放置。
6月末からは「『青少年問題』の50年」のシリーズ随筆を書き出す。15〜30まで、結局8月8日まで書き続けた。
その間、文学部公開講座講義、試験の採点、基礎演習のレポート採点、『よく分かる犯罪社会学入門』「序章」執筆と編集、社会病理学会奨励賞候補論文・著書査読、社会不安調査調査票の検討・作成、次男坊の結婚式。
8月10日からは、『季刊誌
社会安全』の論文執筆、大学オープンキャンパス模擬講義、そしてその後、「社会病理学論・覚書」執筆再開。
9月からはゼミ合宿。K氏博士論文の査読、日本社会病理学会シンポジウムの準備。
こうして夏休みは終わり、授業再開。それでも「覚書」は終わらず、結局全5部となり、10月12日終了。
10月以降は、『月刊
少年育成』執筆、「万引き防止シンポジウム」シンポジスト、Y先生昇進審査査読、社会安全研究財団研究助成成果報告書査読、卒論第一原稿査読・個別指導、ゼミ論第一原稿査読・個別指導、「地域の教育力と少年警察ボランティア」講演、「防犯シンポジウム」基調講演、「戦後日本のセクシュアル・マイノリティ・スタディズ」シンポジウム、「犯罪社会学」論文執筆。
以上である。
これから3月までにすることは、試験の採点、レポートの採点、講義要項の作成、卒論・修論査読、学部入試の採点と試験監督、大学院入試採点・口述試験、ゼミ論集の作成とここまでが2月15日まで。その後、調査報告書の分析と執筆、「『がんばれ!日本の子どもたち』国民大会」開催、次年度の講義の準備である。
まだまだ、疲れるのだ。
posted by 矢島正見 at 00:00| 我流雑筆