2003年12月27日

300回

 「我流雑筆」の執筆がこれにて300回となりました。2001年7月25日に第1回目を執筆してから、およそ2年と5ヶ月。1ヶ月に10回の割で書いていることになります。よく書いたものです。もちろん、これからも続きます。ご期待下さい。
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2003年12月24日

メリークリスマス

メリークリスマス。恋人と過ごすクリスマスイブ家族と過ごすクリスマスイブ残業・バイトと仕事で過ごすクリスマスイブアパートの部屋で独りさみしく過ごすクリスマスイブとにかく、メリークリスマス
ところで、この「我流雑筆」も4万9千回のアクセスとなりました。まもなく大台の5万回ですね。
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小話一話

 むかーし、むかし、雪深い北国の小さな村のこと。
甚五郎という若いながらも鈴作りの名人がおったと。甚五郎の作った鈴はえも言われぬ、それはそれは美しい音色だったと。
ある寒い冬の日のこと。その日は朝から雪が吹雪いておったと。
昼過ぎになって、「おっかー、オラちょっくら山さ行ってくるだ」と、甚五郎は年老いた母親の心配をよそに、雪深い山に入っていった。
ところが、夕方になり、日が沈みだしても甚五郎は帰ってこない。村の人達は大慌て。たいまつをかざし、甚五郎を捜しに山に向かって行った。
「おーい、甚五郎ー」「じんごろーやーい」と呼びかけてはみても、山はただ吹雪いているだけだった。
ところが、しばらくすると、吹雪の合間から、チリン、チリリリーン、チリリン!と、甚五郎の鈴の音が聞こえてきたのだ。
「おおー、あれは甚五郎の鈴の音だ!」「♪♪甚五郎ベル、ジンゴローベル、鈴が鳴る」。(おそまつさま、おあとがよろしいようで)
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2003年12月23日

告白(10)風呂D

 小学校4年生の時に家を増改築して、風呂場ができた。タイル製の風呂桶だった。
当時は木製の風呂桶が一般的だったので、きわめてモダンな風呂桶だったわけだ。これで金魚の絵のタイルでもあれば、ミニ風呂屋である。
以来3年前に家を建て直すまでの四十数年間、その風呂に入っていた。真鍮の風呂釜と共に、タイルは一部ハゲ落ち、ボロボになったものの立派に風呂桶としての役割を果たしていた。
今は、シャワー付きのひねるとお湯が出てくる実にリッチで便利な風呂に入っている。これでは女子中高生が朝シャンしたくなるのも良く分かる。
今の風呂になってからは、毎日入っている。小原ショー助に近づいている。
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2003年12月21日

ゼミ論指導終了

 本日をもってゼミ論指導終了。明日は韓国から李先生一行が来る。一杯飲む。
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2003年12月17日

告白(10)風呂C

 小学校4年の時のこと。クラスの友達と3人で男湯に行った時のこと。
入って行ったら、やはり同じクラスの女の子(Bとは別の子)が入っていた。出るところだったらしく、またわれわれを見つけたからか、すぐに出ていってしまった。よってこのときは、チラチラと何度も見ることなく、一度見ただけで終わってしまった。
翌日、一緒に風呂に行った仲間の一人が、男湯で見たことをみんなにばらしてしまった。「男湯に入っていてよー」てな調子だ。
これは子供心にも、よくないことだと思った。たとえ見たとしても、私のようにチラチラと何度も、もしくはジロジロとどぎつく見たとしても、黙っているべきであり、しゃべってはいけない、と思った。
だいいち、しゃべってしまっては、その女の子は二度と男湯に入ってこないではないか、楽しみがなくなってしまうではないかとは、今思う次第で、当時はそんなこと思わなかったが、とにかく、まずいと思った。
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2003年12月13日

告白(9)風呂B

 小学校3年生のときのこと。男湯に入っていたら、クラスの女の子が入ってきた。父親と一緒に来て、男湯に入ってきた、ということだ。
お互いに目と目があって、お互いに「いる」ということをすごく意識した。
その時私は自分の裸を見られたという恥ずかしさではなく、相手の女の子の裸を見てしまったという恥ずかしさに襲われた。覗きが発覚してしまったときの恥ずかしさである。
この頃既に「女の裸」を意識していたかどうか分からない。ただし、「その女の子の裸」を強烈に意識したことは確かだ。見てしまって恥ずかしい、と思いつつも、その後もやはりチラチラと見てしまったからだ。
目と目があったのは一度きりだった。そしてその後はお互いに目と目が合わないようにした。しかし、その女の子の裸をチラチラと覗いたのは、何度だったことやら。
翌日教室でその子と会った。お互いに知らん顔していた。
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2003年12月12日

告白(8)風呂A

 2年生の一時期近所の家の風呂に入らせていただいた後、兄貴と共に、もしくは自分一人で、さらに姉貴と共に風呂屋に行き、男風呂に入った。
姉貴との場合は、私は男風呂に、姉貴は女風呂に入った。そして、上がりの湯船に入るときに、大きな声で「もうすぐ入るゾー」と合図を送った。すると、女湯の向こうから「分かった」とか、「まだ躰洗ってるところだから、もう少しゆっくり」とか、返事が返ってきた。
そうすると何故か、周りの男たちがたちまち私に優しくなって、声をかけてくる。「今の、お母さん?」なんて来る。「姉です」と言うと、「いくつ?」なんて聞いてくる。「高校2年生」なんて言うものなら、最高に優しくなる。
この頃はまだ女子高生に価値があるなんて、思っても見なかった。
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2003年12月09日

告白(7)風呂@

 小学校1年生までは、母親と一緒に女風呂に入っていた。にもかかわらず、女の裸を見たという記憶がない。
そのころはまだあまりにも幼すぎて、女の裸にほとんど興味がなかったのか。実に残念なことをした。
女湯は混んでいて、湯船も芋を洗うような状態だった。また、赤ん坊を連れてきている人が多く、時に湯船の中で赤ん坊が脱糞した。
混んでいる湯船が突然すいてきて、私一人になったことがある。「へんだなー」と思っていたら、目の前にウンコがポカリポカリと浮いていた、なんて記憶がある。
風呂屋の人がバケツでウンコをすくって、それで終わり。子供心にも、「こんな簡単なことでいいのかなー」と思ったものである。
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2003年12月07日

論文読みの日々

 5日間かけてゼミ生17人分の卒業論文下書きを読み、本日11時から6時まで個別指導。
9日ならびに13日に、本日出来なかった者ならびに再度書き直しの者の個別指導。
13日はまた3年ならびに卒論を書かない4年のゼミ論の提出日。15名分のゼミ論を読み、個別指導しなくてはならない。
昨日、社会安全研究財団から若手研究者約10名の調査研究報告書が送られてきた。査読依頼である。
警察庁の調査報告書の校正もしなくてはならないし、トランスジェンダー聞き取りテープ興し原稿も読まなくてはならない。
他人の書いたものを読む日々である。
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2003年12月05日

告白(6)タオル

 「タオル」なるものを我が家で使いだしたのがいつ頃のことやら、ほとんど記憶がない。
小学生の頃は「タオル」ではなく「手ぬぐい」だった。いわゆる「和手ぬぐい」である。顔を拭くのも、風呂で使うのも、この和手ぬぐいだった。
風呂屋に通っていた頃(小学4年の6月まで)は、石鹸と和手ぬぐい1つ持って、行ってたものだ。
しかし、その後では、とくに新しい母親が来た後では、「バスタオル」というものを使いだしたように思う。
和手ぬぐいが洋式の「タオル」となったのは、その後のことである。おそらく中学生になってからのことか。このへんがはっきりしない。
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2003年12月04日

告白(5)ティッシュB

 「はながみ」や「べんじょっかみ」を我が家で使いだしたのは、私が小学校の高学年になってからのことと記憶している。それ以前の我が家には「はながみ」も「べんじょっかみ」も無かったのである。
鼻をかむのも尻を拭くのも、新聞紙であった。古新聞を適当な大きさに切って、使用していたのである。
適当な大きさに切られた古新聞をよくもみほぐして柔らかくして、鼻をかんだり尻を拭いたりしていたのである。
便所(当時は「トイレ」などとは呼ばない)はもちろんボットン便所である。
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2003年12月02日

告白(4)ティッシュA

 「ティッシュ」などという言葉が普及したのは、ごく最近のことである。私の大学生時代にはまだなかったのではないだろうか。少なくとも、高校生時代にはなかったはずである。
「はながみ」「ちりがみ」「ちりし」「べんじょっかみ」なんて言っていた。「べんじょっかみ」は、古新聞の再生紙で、色が灰色でごわごわしていた。そして時に、溶けそこなった新聞の破片がこびりついていた。
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2003年12月01日

告白(3)ティッシュ@

 横浜や渋谷などに行くと、一日でティッシュが5つも6つも手にはいる。差し出されると、根がケチなので、どうしてももらってしまう。
今年になってからは、保土ヶ谷駅前に2軒のパチンコ屋ができ、競争が激しいせいか、保土ヶ谷駅前でもティッシュが配られるようになり、さらにティッシュが増えた。
1年間に使うティッシュはおよそ50ほど。もらうティッシュは昨年までは100ほど、今年はおそらく150ほどとなる。
こうして、年々ティッシュが増えていく。私の机の上には、溜まったティッシュが重なっておかれている。その数およそ200。減ることはなく、さらに増える見込みである。
古いティッシュは5年ほど前のもの。使うことなく、下の方に埋まっているのである。
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