2003年04月11日

日本犯罪社会学会の自分史(19)

日本社会病理学会・そのA
1992年の10月まで、3年間編集委員になった。この間編集作業のほぼ全てをこなすこととなった。犯罪社会学会で経験していたので、だいたいの要領は分かっていたが、この学会の執筆者の原稿の遅いのには毎回悩まされた。
1992年の10月からは、常任理事となり、編集委員長となった。やはりここでも原稿の遅れには悩まされた。
1995年10月からは会計担当の常任理事に。この頃には学会事務局が大正大学に移り、井出庶務理事の下、学会の組織自体が安定しだしていたので(言いたくはないが、以前のこの学会の組織体制はひどかった)、この会計理事は実に楽であった。
1998年には、理事3選禁止規定により、理事にはならなかったが、その代わり編集の査読委員にさせられた。これは1年に1本ないし2本の投稿論文の査読をするだけなので、楽なものである。
2001年10月、理事に復活。庶務理事となった。ところが翌年の1月に直腸癌の手術で入院、その後は名前だけの庶務理事となり今日に至っている。
と、本来ならここで終わりなのだが、会長の米川氏が今年の1月に胃癌の手術を受けた。そこで彼も今は動けない。井出−時井−田島という若手ラインに期待するしかないであろう。
posted by 矢島正見 at 00:00| 我流雑筆