2003年03月30日

日本犯罪社会学会の自分史(16)

 日本教育社会学会の会員には22年ほど前になった。
発表1回、数年に1回の大会参加と、やはりお客会員である。
ただし、何となく相性はいい。報告も「聞きたい」と思う内容がそれなりにある。
これからも近寄らず・離れずの会員のままでいるつもり。
なお、この学会の有力な会員である耳塚氏や樋田氏には、犯罪社会学会、その他で大いにお世話になっている。この場を借りて御礼申し上げたい。
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2003年03月28日

卒業飲み会

 25日、卒業式が行われた。
大正大学時代では、卒業式のあとは、ホテルにて学科ごとの謝恩会。記念撮影があり、立食のパーティーが開かれ、先生方に記念品が渡される。
二次会は各ゼミごとに行われるが、ほとんどはゼミ連合の二次会となる。ここまではほぼ全ての社会学科の先生が参加。
三次会からはオールナイト。私は若かったのでこのオールナイトにも参加。かくて卒業式の日は例年朝帰りとなる。
中央大学に来て3年間ほどは「謝恩会」というのがあったのだが、先生には学生以上の参加費が徴収されたりした。「恩師が卒業生に感謝する会」だったようだ。また、二次会はゼミではなく、1年次のクラスごとの飲み会であった。
しかし4年目頃からはそれもなくなり、教員は卒業証書授与式とその後の乾杯後は、何もすることがなくなり、大学院の終了式のほうに行っていた。
それが今年は、矢島ゼミで夕方から飲み会が行われた。ゼミでの卒業飲み会は中大に来て、始めてのことである。
健康であったなら、また翌日に長野に行かないのであれば、二次会まで当然つきあったのだが、残念。一次会でさよならした。
翌26日は、午前中神奈川県児童福祉審議会に出席し、その後長野に向かった。
志賀高原で一泊し、翌日は小布施に行き、調査・見学。夜になって帰ってきた。
本日は昼の12時まで寝ていた。
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2003年03月23日

日本犯罪社会学会の自分史(15)

 関東社会学会の会員でもある。
中大に来て2〜3年目のこと、中大から理事を一人出すように、ということで、私が理事にさせられてしまった。前任理事の田野崎先生との交代であった。
その時私は会員にもなっていなかった。よって、会員になると同時に理事になった次第である。
2年間理事を務めて、お役御免。メデタシメデタシであるが、理事を辞めたあとも会員になっていた。
4年ほど前、1年間研究専門委員にさせられた。直井先生の要請に断れなかったからだ。この時はシンポジウムの司会者までやらされた。
なんだかんだとやらされたが、基本的に、この学会もお客会員である。
この学会の大会は大学院生や非常勤講師等の若手の研究者が多く集まるので、私でさえ、目立つほどの年寄りとなってしまうという、きわめて違和感のある学会大会である。
楽しい思いではただ一つ。早稲田大学の亡くなられた先生で、実に失礼なことで今どうしても名前が浮かんでこないのだが、その先生も酒飲みで、しかもカラオケで歌う歌が私の領域とほぼ同じということで、よく若手研究者を引き連れて飲みに行ったし、カラオケにも行った。気が合っていたのだが、残念なことであった。
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2003年03月19日

三重野賞受賞

 本年度の三重野賞に矢島ゼミのゼミ長・若林良君が決まりました。
これで、宮永君、浅見君、そして若林君と、我がゼミから3名でたわけです。今年で10回目・毎年2名の全学的賞に1つのゼミから3名が出るとは、実にすごいことである。
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2003年03月18日

ここ4〜5日は

 15日「田村雅幸さんを語る会」が開かれた。奥様を含めて16名の者が集まり、大いに飲んで大いに語った。
16日「出会い系サイトと青少年」のシンポジウムがあった。基調講演をして、コーディネーターをした。
17日は(財)青少年問題研究会へ、本日はこれから歯医者へ、明日と明後日は中大。
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2003年03月16日

200回目

 今回で「我流雑筆」は200回を迎える。2002年7月15日に100回だったので、およそ8ヶ月で100回書いたということになる。2〜3日に1回の割である。
これからいささか忙しくなることとは思うが、週に2回ほどの割で書いていこうと思っている。
ところで、アクセス回数もだんだんと3万回に近づいてきている。私の予想では4月の20日頃だと思う。
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2003年03月15日

日本犯罪社会学会の自分史(14)

 ここからは番外編。まずは日本社会学会。
社会学者の本家本元の学会である。もう30年近く会員ではあるが、私にとっては遠い存在の学会。よって未だにお客会員である。
私が社会学者とはいえ異端の傍系であることをよく表していよう。
学会での報告はたったの一度だけ、大学院生の頃のことである。大会には2年に一度ほどのわりで出ているが、ほとんど観光気分である。
ところがその学会が今年中央大学で開かれるという。引き受けてきた川崎先生には申し訳ないが、私は手伝わなくてもよいという条件で学会開催の引き受けを了承した。
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2003年03月12日

犯罪社会学会の自分史(13)

 第十期は森田会長。私は名ばかりの編集委員にさせていただいた。常任の幹事委員ではないので、編集会議に出る必要もなく、特集を考えることもない。時々依頼の査読をすればいいという閑職である。ただし、一応常任理事なので、常任理事会には出席する。こうして現時点で、半年が過ぎた。
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2003年03月09日

日本犯罪社会学会の自分史(12)

 第九期は荒木会長の下、またしても研究委員長にさせられてしまった。
委員長が2期やるというのは、マンネリの元である。そこで、研究委員をほぼ全員入れ替えした。
こうして新しい委員の新しい構想から大会プログラムを考えていただいた。特にその際、研究委員として京都大学の宝月先生に入っていただいた。と言うのも、シカゴ学派犯罪社会学の再考をシンポジウムにと考えていたからである。
2期目の3年目、直腸癌が発覚し、手術で入院することになってしまった。退院後も無理できず、結局3年目は、細井委員、服部委員そして丸委員に全てお願いせざるを得なかった。
特に丸委員には心から感謝している。2期目の研究委員会の要は丸委員であったし、彼のいたおかげで私はずいぶん手抜きが出来たし、さらに3年目のピンチを切り抜けられたのも彼がいたからこそであった。
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2003年03月08日

仕事のコントロール

 1日の少年法研究会欠席、本日8日の生活史研究会欠席。
1日は寒かったことと、ゼミ合宿の疲れをいやすために休んだ。本日は、12日の警察政策学会少年問題部会での報告の準備ならびに16日の「出会い系サイトと青少年」シンポジウムの基調講演レジュメ作成のために休んだ。
以前であるならば、研究会にも出席し、さらに報告の準備もしたのだが、今はもうダメ。無理は禁物と、禁欲している。
あせるということはないが、頭の中ではやることがひしめいている。
新学科設立構想も進めなくてはならない、今年度の警察庁の調査報告書も書かねばならない、文科省科研費の調査研究報告書も書く時期が迫っている。
青少年人間関係調査研究会の調査も、再分析して書きたく思っているし、青少年の性の調査も再分析して書きたく思っている。
手術でキャンセルした本の執筆も取りかかりたいし、青少年問題もなるべく早く本としてまとめたい。
しかし、「風林火山」の今は「山」。「動かざること山の如し」で、当分やって行くしかない。2010年までの長期戦とする。
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2003年03月07日

反省

 昨日、大学の先生方と一杯飲んだ。調子に乗って飲み過ぎてしまった。反省。
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2003年03月05日

日本犯罪社会学会の自分史(11)

 第八期は、横山会長(現國學院大学教授)の下で研究委員長となった。
そこで、@今年度の大会で何をするかということだけでなく、任期3年間で何をするかという、基本的認識を変更させた。A各研究委員は必ず3年間のうち1回はコーディネーターをする、とした。B大会報告要旨集を大会時に出すのではなく、大会終了後に本格的なものにして出すことにした。
この改革は、現在の研究委員会にも引き継がれている。
選りすぐりの各委員、皆さんよくやって下さった。鮎川氏、耳塚氏、岡本氏、小柳氏、生島氏、北澤氏、佐々木氏、小宮氏、等である。しかしなんと言っても、相棒の田村さんが研究理事としていたからこそであった。つくづく、素晴らしい人材を亡くしたと、悔やまれる。
その田村さんの1周期を、今月の15日に行う。彼は死んで、私は未だに生きている。申し訳ないが、彼の分も飲ませていただく。
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2003年03月04日

日本犯罪社会学会の自分史(10)

 第四期、第五期、第六期と9年間、常任理事を務めあげ、ようやく暇をいただいた。四期連続禁止規定によってである。
常任理事は退いたものの、編集委員はさせられた。しかし、ただの平委員は気楽である。岩井宣子編集長(専修大学教授)の下、気楽に3年間過ごさせていただいた。
そう言えば、第六期、第七期の編集委員会では委員会終了後よく飲んだ。そんな仲間の速水さん、田村さんは死亡、佐藤典子さん(元法務総合研究所)は躰を悪くして引退、久保さん(法務総合研究所)は大腸ガン、私も大腸ガン、米里さん(科警研)も体調を崩している。元気なのは、所先生(六期編集長、現東亜大学教授)と岩井先生だけである。
第五期、第六期の星野会長(現帝京大学教授)の下で、理事・委員の飲み方が定着していった。今ある常任理事会後の飲み会そして二次会は、この時以来の伝統である。
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2003年03月02日

日本犯罪社会学会の自分史(9)

 ここで学会の歴代会長の流れと私の役職を整理してみよう。
暫定期(1974〜75)那須会長、一般会員
第一期(1975〜78)岩井会長、編集委員
第二期(1978〜81)柏熊会長、編集委員(半年のみ事務局長)
第三期(1981〜84)四方会長、事務局長
第四期(1984〜87)澤登会長、庶務理事
第五期(1987〜90)星野会長、会計理事
第六期(1990〜93)星野会長、会計理事兼編集理事
第七期(1993〜96)所会長、編集委員
第八期(1996〜99)横山会長、研究理事(委員長)
第九期(1999〜2002)荒木会長、研究理事(委員長)
第十期(2002〜)森田会長、編集理事
以上である。
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2003年03月01日

日本犯罪社会学会の自分史(8)

 庶務理事になったからといって、雑用から離れられたということではない。澤登会長の時代から「働く理事」の時代となった。よって、事務局長時代と何ら変わることなく、学会雑務に携わった。
1987年11月、学会事務局が大正大学から國學院大学に移転することとなった。柏熊前会長が亡くなり、私が1年間外国に行くことになり、大正大学に事務局を置いておくことが出来なくなってしまったからだ。
こうして、6年と8ヶ月の事務局時代は終了した。その間、下山氏(現淑徳大学教授)、田島氏(現財団法人雇用開発センター)、澤田氏、麦倉氏(現、東京所女学館大学教授)といった事務局員とコンビを組んで、庶務・会計の仕事に携わった。
posted by 矢島正見 at 00:00| 我流雑筆