2003年01月30日

日本犯罪社会学会の自分史(5)

 昨日、警察政策学会の会合のあとで、いつものようにイタリアレストランでワインを飲みながらパスタを食べ、その後2次会では、星野先生と小宮先生と私の3人で小料理屋に入った。久しぶりに星野先生におごっていただいた。
さて今回の個人史は・・・。
学会の作業終了後、よく呑みにいった。そんなとき、率先して若手の委員を引き連れて呑んだのが星野周弘先生だった。会計は先生もち。若手の連中を自腹で呑ませた。
意地汚い話だが、呑んべえにとっては、呑ませてくれる人は、もうそれだけで「立派な人」「尊敬すべき人」となる。
星野先生が他の理事と決定的に異なったのは、この点である。日本教育社会学会で若い頃自らが無料奉仕の委員をしていた先生は、金のない若手委員の無料奉仕の大変さがよくわかっていたのである。
そこで、自ら作業に参加し、そして終了後、みんなを引き連れて呑みに行く、となった次第である。
この伝統は、当時の若手委員であった横山先生、広瀬先生、米川先生、平な先生、そして私に受け継がれ、今では、大庭先生、山本先生に受け継がれている。
呑んべえの私にとっては、学会の良き伝統と思っているのだが。
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2003年01月26日

本年度卒業論文口述諮問結果速報

 矢島ゼミ4年生24名中、卒業論文履修者22名。うち、卒業論文提出者は18名であった。社会学科約160名中卒論提出者は46名。したがって、提出者のほぼ4割が矢島ゼミ生であった。
さて、昨日、卒業論文口述諮問が行われた。例年に比べて今年は論文提出者が多いにもかかわらず、質としてもかなり高いレベルであった。
矢島ゼミ生の18名も、例年になくレベルが高かった。具体的にここで述べることは出来ないが、この量・質の高さは、矢島ゼミの伝統として、これからも維持していきたいと思う。
今年のゼミ3年生、そして来年度の新3年ゼミ生に期待したい。
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2003年01月24日

日本犯罪社会学会の自分史(4)

 那須編集長の下3年間編集委員を務め、無事お役ごめんと思いきや、次の松本良夫編集委員長の下で、また編集委員を務めることになった。
結局、27歳から33歳まで、1975年12月から1981年10月まで、計6年、編集委員をすることになった。
その32歳までの5年間は、大学院博士課程そして大学の非常勤講師の時代である。
主な収入源は私塾。既に結婚し、子どももいたので、生活費を稼がなくてはならない。独身者と違って生活が重くのしかかる。
そこで、自宅で補習塾を開き、生活費を稼いでいたわけである。
そんなときでの学会の仕事はかなりきついものであった。年に数回の理事会、同じく年に数回の編集委員会への出席。年に一度の大会出席(2泊3日)。年に数回のニュース発送作業、そして年に一度の機関誌発送作業。その全てに出なくてはならない。
他の委員は、その日にバイトを避けたりキャンセルしてくる。私の場合はアルバイトの塾講師を依頼して出かけなくてはならない。
自腹を切ってバイト代を出して、出かけて行くわけである。もちろん学会の仕事は無給、一銭ももらっていない。
当時は、委員の都合で作業日を決めるなどということはあり得なかった。手伝って当たり前、という時代であった。
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2003年01月22日

ついに1年・やっと1年

 2003年1月22日、本日は術後1周年。執行猶予5年のうち、ようやく1年が過ぎた。明日からは2年目に入る。マラソンで言えば、8qを過ぎたところである。
8qで、脱落するランナーなどほとんどいない。20qから25qあたりがもっとも危険。つまり、3年目がもっとも危ない。
それはともかく、1年、無事終了。めでたいことである。学生からもらった「国士無双」で、妻と二人して乾杯。まずは、バンザイ。
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2003年01月19日

『長崎ぶらぶら節』

 久しぶりに小説を読んだ。『長崎ぶらぶら節』。いい物語だった。
この小説の範囲でのことだが、売られていく女の子よりも、売れない男の子のほうが惨めである。
戦前では、男の子が産まれると喜び、女の子が産まれるとがっかりしたなどということが、全くの正しいことのように言われているが、どうも疑問である。
男の子が産まれて喜ぶのは、それなりの財産がある家のことではなかったか。そして、極貧の家庭では、かえって女の子が産まれたほうが喜んだのではないだろうか。なぜなら、売れるからである。
10歳までの子どもの労働力が、男の子も女の子も同じであるならば、女の子のほうを喜ぶであろう。少なくとも私ならそうである。
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2003年01月18日

日本犯罪社会学会の自分史(3)

 那須宗一編集長の下3年間編集委員をした。当時はまだ査読委員という制度がなく、編集委員が分担で投稿原稿を査読していた。
ある投稿論文で、二人の委員の意見が正反対となった。それが朝倉京一先生と宮澤浩一先生。二人とも知る人ぞ知る、大物大先生である。
一方は掲載可、今一方は掲載不可。その時委員長の那須先生が、「矢島君、君はどうだい」と、私に意見を求めてきた。
私は全ての論文を読んでいたので、当然その投稿論文も読んでいる。また、二人の先生以外その投稿論文を読んだのは私しかいない。そんなわけで、那須先生は私に意見を求めてきたわけであるが、私はビックリ。
私は雑用担当で、査読などおこがましく、考えたこともなかった。まして、二人の大先生の見解が別れている最中、私のような大学院生が意見を述べるなど、もうパニックである。
しかし、指名された以上述べなくてはならない。そして私の見解によってはその投稿論文は採用にもなるし、ボツにもなる。
で、結局、基本的に肯定的な意見を述べた。この意見に二人の大先生も同意し、修正の上採用ということで、メデタシメデタシとなったが、大先生と同格に扱ってくれた、那須先生には、数時間後、ようやく感謝感激であった。
それからは、いつ意見を求められてもいいように、自分の意見をメモしておくことにした。そしてこの訓練が、自分の論文を書くにあたって実にためになったのである。
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2003年01月17日

現代社会研究テスト結果速報

 中央大学文学部「現代社会研究5」のテスト結果は次の通りである。
A−108名(71%)、B−27名(18%)、C−10名(7%)、D−7名(5%)。
またまた甘くしてしまった。持ち込みありで、しかもテスト中にヒントを言ってしまった。どうしてこうも甘いのか、反省している。来年度は、厳しくする予定。
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2003年01月14日

成人式

 今年も成人式が自治体・行政の手で行われた。一昨年ほどのバカ騒ぎはさほどなかったようだが、税金の無駄遣いである。
成人式など、出産祝いや七五三、結婚式や古稀の祝い、葬式のように、各家庭でやればよいことである。
ところが、世間では、ということは、自治体も大人も成人になる若者も、そしてマスコミも、自治体が成人式を行うことを、当然のことのように思っている。
今から34年前のこと、私は彼女(現在:妻?!)と何故か皇居前広場(もしかすると日比谷公園)にいた。その日はやけに着物姿の若い女が多い。
「着物の女が多いねえ」「正月も過ぎたのに」「まさか、卒業式でもあるまいに」なんて話していた。そしてそのうち、はたと気付いた。今日が成人の日であることを。そしてさらに気付いた。我々もその当事者であるということを。
今から30〜40年前の成人式なんていうものは、こんなもんである。
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2003年01月12日

日本犯罪社会学会の自分史(2)

 2ヶ月ほど前のこと、「日本犯罪社会学会の自分史(1)」というのを書いて、そのままになってしまっていた。本日はその(2)を書く。
日本犯罪社会学会の前身は日本犯罪社会学研究会である。
大学院生になった私は、中央大学の大学院会館で行われていたこの研究会に、恩師の那須宗一先生に紹介されて、何度か顔を出したことがある。
そしてそこで、初めて岩井弘融先生や星野周弘先生、西村春夫先生、といった先生方の顔を知ることとなった。
1974年、博士1年の時に、大正大学にて設立総会が開かれ、研究会は「日本犯罪社会学会」となった。
研究会の時代から、また設立準備委員会の時代から、同僚の横山氏、廣瀬氏、平な氏は事務にかかわっていたようだが、私は研究会に出るだけのことであった。
また、設立後も、会員にはなったが、委員となったわけではない。ただし、第2回大会が中央大学で行われたので、その準備委員に駆り出され、そこではそれなりの手伝いをした。
その第2回大会時、学会に編集委員会が設けられ、機関誌『犯罪社会学研究』が発行されることとなった。
そして初代編集委員長となった那須先生は、私の同僚の増田氏を編集委員とした。ところが増田氏は委員となった直後、就職が決まり、四国に行くことになってしまった。そこで急遽委員の交代人事がなされ、私が編集委員になったのである。
私が大学院博士課程2年、27歳の時、1975年の12月のことである。そしてこの時から、学会との長い長い関係が続くのである。
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2003年01月09日

また忙しくなってきた

 3日の午後以降のこと。夜息子達が来て、家族4人で食事。
4日は、次男の彼女と家族、計5人でカラオケに行き、その後夕食。やや、にぎやかとなった。
5日には、ゼミの卒業生、佐野と徳増が来た。
しかし、その間、親しく近所つき合いしていた人の旦那が急死。女房はショック、そして忙しくなる。
私はといえば、30日、31日、2日、5日、7日と5日間修士論文を読んでいた。また、3日は、ストーカーに関しての2つの論文の査読をした。
6日は青少年問題研究会へ、8日は中大で、現代社会研究のテスト、ゼミ論の提出、そして夜はゼミのコンパ。
本日9日は、修士論文の口述試問。これから始まるところである。
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2003年01月03日

今年の正月は

 元日、11時頃に起きて、雑煮を食べ、マンガを4冊(息子がおいていった『少年サンデー』)読み、新聞を読んで、年賀状を読んで、テレビ(「忠臣蔵」等)を見て、インターネットを開き、床暖房の部屋でごろごろして、夕食に1合少々の酒を飲み、風呂に入り、お休み。
2日は10時半頃に起きて、雑煮を食べて、箱根駅伝を見て(中大が、なななんと12位とは・・・)、修士論文を読んで、インターネットを開き、床暖房の部屋でごろごろし、夕食に1合弱の酒を飲み、風呂に入り、お休み。
3日は、10時半頃に起き、雑煮を食べ、箱根駅伝を見て(中大5位とは、まずまずの成績)、新聞を読み、年賀状を読んで、只今インターネット中。
どこにも行かない、誰も来ない、息子達すら大晦日に来ただけで来ない。さらに今年は国道一号線での箱根駅伝の応援も寒いので取り止め。
実に近年になく、いや、50年間ほどの記憶にある正月の中でもっともゆったりとした正月を過ごしている。しかも外はみぞれ。残りご飯をウッドデッキで雀たちがついばんでいる。のどかである。
「花をのみ
待つらむ人に
山里の
雪間の草の
春をみせばや」なんて、風情な詩が出てきそうな、そんな正月である。正月らしい正月と言えよう。
ところで、さっそく、メールアドレスが印字されない送り方を複数の方々が知らせて下さった。ありがたいことである。この場を借りて、御礼申し上げる。
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2003年01月02日

困った

 今から十分ほど前のこと、電子メールにて、新年の挨拶文を十数人の方々にまとめて送った。そして、送ったあとに、ふと気付いた。
その文面をコピーすると、送った人全員のメールアドレスが印字されてしまうのだ。
ということは、お互いにお互いのメールアドレスがわかってしまう、ということだ。
幸いにして、その十数名の方々の中には怪しい感じの人は誰もいなかったし(そんな人とはつきあっていない)、またほぼ全員がお互いに知っている方々ばかりだったので、問題ではないと思えるが、これは問題である。
今年は雑務縮小の一環として、電子メールにて新年の挨拶をしようと考えていたのだが、とんだ見当違いであった。
一人一人送っていたのでは、雑務縮小にはならない。ということは、今年は新年の挨拶は、このホームベードだけ、となる。困ったが、しょうがない。
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2003年01月01日

新年のご挨拶

 皆々様
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
今年も、快食・快眠・快便をモットーに、エッチラオッチラと生きていく所存です。
無理をしないこと、不快なことや気にくわないことはしないこと、ストレスになるようなことはしないこと。そして、したいこと、して楽しいことだけを、のんびりとやっていきたいと、思っています。
今年度その第一弾として、年賀状は取り止めにさせていただきました。無礼させていただきます。あしからず。
posted by 矢島正見 at 00:00| 我流雑筆