2002年07月30日

スポーツについて(17)野球対サッカー

 「スポーツについて」シリーズの最後として、野球とサッカーを比べて論じてみたい。
野球とアメフトはアメリカを代表するスポーツであると同時に、きわめてアメリカ的なスポーツだ。
「アメリカ的」の最大の特徴は、ルールがよく言えばきめ細やか、悪く言えば複雑。スポーツの中でもっともルールが細かく規定されているのが野球なのではないだろうか。
このルールでいつも違和感を覚えるのは「ボーク」というやつだ。ピッチャーがどんなかっこして投げたって、そんなことどうでもよいではないか。ストライクを取ればよいのである。盗塁しようとして塁から出ていた者がアウトになろうと、出ていた者がいけない。盗塁しようなんて浅ましい根性を起こすのだから、泥棒と同じくらい細心の注意をして当然である。ピッチャーの投げ方に文句を言う筋合いはない。
「アメリカ的」の第二の特徴は、選手でない者がやたらと指示する、ということだ。つまり、管理者による現場の統制という近代組織イデオロギーがスポーツにも反映されているということである。とにかく野球は、選手外の者が口だしすぎる。
グランド内に選手外の者は入り込んではいけない。一塁と三塁の脇に指示するためのコーチボックスが設けられているなどもってのほか。そんなものは不要である。
「アメリカ的」の第三の特徴は、システム化である。監督からのサイン、キャッチャーからピッチャーへのサインと、秘密の情報が飛び交う。アメフトでは、数百のフォーメーションがあるという。合理的と言えば合理的。しかし、私には「すぎる」ように思える。自ら行う草野球にはそんなものがないからいい。だから、やる野球は好きなのかもしれない。
システム化は頻繁な選手交代にも現れている。ピッチャーの交代はひどすぎる。交代したら少なくとも2イニングは投げることにしなくてはいけない。どんなに打たれてもである。ダメならすぐ替えるという発想が気にくわない。替えたからには、たとえダメでもその責任をベンチは取るべきである。
もっとも、サッカーは替えるのが少なすぎる。あれでは選手が疲れる。少なくとも、延長に入ったら、3人以外にもう2人ほど換えることができるようにすべきだ。
延長戦に入っても、野球はルールを全く変えずに延々と続く。サッカーのようなPKもない。そこで、考えたのだが、延長戦では、選手を一人ずつ減らしていく。つまり10回では8人となる。守る方は、守備の何処を削るか、それは自由。ただし、ピッチャーとキャッチャーは削れない。11回になると7人となる。この方が点が取りやすくなり、早く決着がつく。面白いと思うが、いかがであろうか。
ところで、私がもっとも好きなスポーツは、ルールが単純で、決着がスッキリとつくものだ。そんなのにもっとも近いのはやはり陸上のトラック競技であろう。100、200メートルとマラソンが好きなのは、そんなところにある。
posted by 矢島正見 at 00:00| 我流雑筆

2002年07月28日

息子(次男大地)追放

 7月20日、21日にかけて、息子が引っ越し。就職した東京ガスの上大岡寮に入った。これで我が家は妻と私の二人きりとなった。
我が家では、大学に入るか、もしくは就職したら、必ず一度は家を出ていき、少なくとも1年間は一人で暮らすこと、という家訓がある。1年間の追放である。
こうしないと、親のありがたみが分からないし、嫁さんをもらったときのありがたみが分からないし、一人で生活していく気楽さと惨めさが分からないからである。
妻はかなり寂しがっている。息子達は親離れしているのだが、妻はどうも子離れしていないようである。
若い皆さんへ。一度は家を出ましょう。子持ちの皆さんへ。一度は子供を家から追い出しましょう。
posted by 矢島正見 at 00:00| 我流雑筆

2002年07月27日

吉田民人

 財団法人青少年問題研究会発行の月刊誌『青少年問題』の今月号(8月号)の「私の青少年問題シリーズ」に、吉田民人氏が「逸脱から創造的破壊へ」と題して、自分史を書いています。
氏曰く「私がこのまったくプライベートな課題に取り組む生涯初めての、そして恐らく最後の公的機会である」。
ということで、社会学の学生・研究者は必読です。家庭内暴力少年吉田民人・・・あとは読んでのお楽しみ。FAX
03−3262−6057
またはメールf.mugishima@nifty.com でお申し込み下さい。
posted by 矢島正見 at 00:00| 我流雑筆

2002年07月23日

半年経過

 昨日で術後半年が経過した。未だ生きている。
もっとも生きていてほぼ当然。術後半年以内で死ぬのはステージ4の末期症状の癌の場合である。ステージ3では、再発し、さらにその後死ぬので、半年以内では滅多に死なない。
再発の発見は1年後から3年後。ということは、死ぬのは1年半後から3年半後が危ないということだ。
5年後の死亡率がごくわずかではあるが下がったわけであるが、マラソンにたとえれば、まだ4qの地点。ここで脱落するランナーはまずいない。危ないのはむしろ20qから30qの地点だ。
これからも、エッチラオッチラと生きていくことにする。
posted by 矢島正見 at 00:00| 我流雑筆

2002年07月21日

スポーツについて(16)サッカーB

 本日は延長戦について。
サッカーの場合は他のスポーツに比べて極端に引き分けが多い。アメリカ人にサッカーが不人気なのは、この点にあるのかもしれない。
そこで、延長戦なるものが出来た。Vゴール方式はなかなか理にかなっている。ここでも決着の付かないときは、PK戦となる。
このPK戦がいまいち納得し得ない。と言うのも、今までの試合システムとあまりにもギャップがありすぎるからだ。正規の試合とは全くの別物と言っても過言ではない。
延長Vゴール方式は、今までの正規の試合と、ほぼ同じである。違いは1点入った時点で試合終了となることだけだ。
ところが、PK戦では、通常の試合のごく特殊な場面でしか過ぎない行為が展開される。これで決着をつけるというのは、じゃんけんで決めるよりは未だよい、といった程度である。
そこで提案。Vゴール方式の延長戦でも決着が付かない場合には、第3弾として、今度は、ゴールキーパー無しの試合方式にしたらどうだろうか。キーパー無しVゴール方式である。
ここでは、ゴールキーパーがいないという違いだけで、あとは正規のサッカーとまったく同じである。ギャップが少ない。
そして、それでも決着が付かないときに、今度は第3弾の試合では不在であったゴールキーパーが正面に現れるPK戦にすればよい。要するにPK戦は第4弾、最後の手段とするのである。
なお、このPK戦も、前回述べたとおり、現状の蹴る場所は近すぎる。入れて当然というのでは、蹴る方のプレッシャーの方が大きくなる。プレッシャーは、蹴る方とキーパー五分五分でなくてはバランスが悪い。
そこでやはり、蹴る場所を半円の中にすべきである。この方が、入るか・入らないか、キーパーがはじくか・はじかないか、五分五分の、つまりどちらだかまったく分からないスリル・醍醐味がある。
posted by 矢島正見 at 00:00| 我流雑筆

2002年07月20日

スポーツについて(15)サッカーA

 サッカーはまだまだ続く。
で、今回は私がサッカーの中で最も「不合理」「不整合」と思え、これがある度に、常に違和感を覚えること。言い換えれば、サッカーで一番矛盾を感じるところの話である。
違反行為とそれに対しての罰は、釣り合いが保たれていなくてはならない。これは行為と罰の根本原則である。よく言われるところの「目には目を」である。
犯罪にあっては、殺人にはそれに見合った罰が与えられる。強姦、放火、強盗、傷害、窃盗、等、全て、それ相当の罰が与えられる。この罰は厳しすぎても軽すぎてもいけない。
さて、遠回しに、もったいぶって述べてきたが、問題とするところはPKである。
相手ゴールの領域内(これを専門用語で何と言うのか忘れた)でのファールは、罰としてPKが科せられる。守る方は大打撃、責める方はご馳走様、である。
領域の外であるならば、それがたとえ10p外側であっても、ファールのあった場所からのキックで、しかも相手選手は全員で壁を作ったりと、防御し得る。よってゴール率はきわめて低い。
しかし、それがたとえ10p内側であっても、ゴール正面の、近場のところから蹴ることとなり、しかも守るのはゴールキーパーだけとなる。そしてほぼ80%の確立でゴールとなる。
この差はあまりにも激しすぎる。殺人罪は死刑、傷害致死罪は懲役1年・執行猶予3年という以上の開きである。「ご馳走様」以外の何ものでもない。
相手の領域内でのファールがもしなかったとしたら、当然80%程の確率でゴールし得ていた、というのであるならば、この罰は整合的である。何ら問題ない。しかし、そんなことはない。ゴールの確率はもっとずっと低い。
よって、ファールの行為とそれに対しての罰があまりにも不均衡なのである。江戸時代10両盗むと死罪とされたが、それ以上の不均衡である。強盗で死刑、万引きで10年の刑、といった感じである。
そこで、PKとなると、たとえ応援している方のチームが得たとしても、違和感を覚える。素直に喜べない。
ところが、サッカー慣れしている人は、これを当たり前のことと思っているらしい。慣れが矛盾に対して鈍感にさせてしまっているようなのだ。
これを整合的にするには、どのようにルールを変えたらよいのか。簡単である。
ゴールの確率を5分5分になるようなところでPKをすればよいのである。私の推定では、ゴール正面にあるあの半円の内側がよい。その内側であるならば、蹴る側の自由な場所にボールを置ける。あとは同じ。ゴールキーパーとの1対1。
これでよいのだが、しかし、こうなるとPKかくごのきわめて悪質な確信犯が出てくる可能性があるだろう。後ろからタックルしたり、殴りかかったり、キンタマを蹴り上げたり、と今まででは考えられないような行為が、勝つために公然と行われるかもしれない。
よって、ゴール領域内でのレッドカードに相当する違反行為に関しては、今まで通りのPKであってもよい。要するに、2通りのPKルールとなるのである。
いかがであろうか。これはJリーグ始まってからずっーと考えている私の案である。もしこうなれば、PKも、恨み激減・違和感激減で、楽しく見られるのであるが。
posted by 矢島正見 at 00:00| 我流雑筆

2002年07月19日

スポーツについて(14)サッカー@

 とうとう「スポーツについて」の最後、サッカー。
サッカーファンになったのは、あの「ドーハの悲劇」以来。それまではほとんど見なかった。したがって、ずぶの素人の、素人であるが故の、ある種の的を得た批判ができると自分では思っている。
サッカーをある程度分かってくると、かえって鈍感になる、と思っている。
さて、ワールドカップでは審判のことがずいぶん問題になったが、Jリーグが始まったときから、サッカーでは、この審判のことが問題だな、と思っていた。
審判がたった一人で、走り回って、微妙な判定を瞬時に下さなくてはならないというシステムは、かなり古い時代のものと言わざるを得ない。
今回の審判の問題では、機械の導入が提示されていた。今では瞬時に、場面を再生できる。ビデオを十数カ所に設置しておけば、どの確度のものが最も判定し得るか、コンピューターがはじき出してくれる。
審判センターにて、複数の審判が数秒のうちに判定し得るし、すぐにフィールドに伝達・表示し得る。その間十秒とかからないであろう。
レッドカード、ゴールの判定、PK、といった試合を決定するような判定については、すぐさま新版はセンターに判定の指示を仰げばそれでよい。自ら判定するのではなく、審判センターに判定するように指示すればよいのである。
こうすれば、流れを妨げることはない。電光掲示板に今のプレイの判定がたちどころに表示され、試合続行となる。むしろ、現状の抗議の時間の方が長いくらいである。
こうした改革に対して、「通」の人ほど反対しているように思える。相撲のビデオ導入の時もそうであった。素人は導入賛成、玄人は反対であったが、いざ導入してみれば、絶対的に導入した方が良かった、となった。
「人間である限り判定は間違える」という論法が、この審判の問題では、良く出されていた。裁判の間違いで私が同じことを言っても誰も耳を傾けないのに、ここではこの論法がまかり通っていた。サッカーの判定は裁判の判決よりもいい加減でよいということらしい。サッカーで戦争まで起こっているのだが。
posted by 矢島正見 at 00:00| 我流雑筆

2002年07月15日

100回記念

 本日のこの書き込みが100回目です。「塵も積もれば山となる」と言いますが、本当にそうですね。
100と簡単に言いますが、これはずいぶんの数です。お暇な方は、しかもかなりお暇な方は、どうか最初から、今一度じっくり読んでみてください。きっと、読むだけでもかなりの時間がかかると思います。
第1回目は、2001年7月25日でした。ほぼ1年で100の書き込みを行ったことになります。
12月8日の書き込みが16回目となります。このころは、随分と間延びして書いていたわけです。と言うよりも、忙しくて書く暇がなかったのです。
12月8日から今年の2月27日までは、空白の時期が続きます。最初はこの『矢島正見わーるど』の調子がおかしくなってしまったため、そして年明けからは、私の入院・手術のためです。
2月26日に退院ですから、翌日から再開したことになります。それが17回目。以後は週に4回のペースで書き込んでいます。4月9日が50回目。そしてアクセス回数1万回の書き込み(4月15日)が55回目です。
何となくの感ですが、200回目の書き込みと、2万回目のアクセス数とが、ほぼ同じ頃になるのではないかと思うのです。
なお、私は2万回目の予想を、2003年1月22日午後3時、としています。1年前の手術が終了した日時です。はたして結果は?。
posted by 矢島正見 at 00:00| 我流雑筆

2002年07月13日

スポーツについて(13)野球

 野球はほとんど見ない。夏の高校野球の神奈川の試合を見るくらいである。プロ野球はスポーツニュースで見るだけ。それでちょうどよい。
見る野球に限定するが、私にとって野球は実にいらいらするスポーツである。ちんたらちんたらしていて、実にまどろっこしい。「早く投げろ」「早く打て」と、いらいらしてくる。
ピッチャーの交代がちんたらしている。しかも交代が多すぎる。サッカーの交代は3人だけ。野球もピッチャーの交代は3人だけにすべきだ。
3ストライク・4ボールというのも気にくわない。真剣勝負・一発勝負であるならば、1ストライク・2ボールで結構。ファールも2回したら1ストライクとすべし。
こうしたら、試合の流れは実にスムーズに行く。もちろん、守備につく選手は駆け足。交代するピッチャーも駆け足。交代後ちんたらピッチング練習などせず、すぐに試合再開。サインを出すのも迅速に。バッターはすぐにバッターボックスに入り構えること。
そしてもし、ちんたらしているようならば、遅延行為として、ちんたら行為が守備側ならば打者1塁へ、攻撃側ならアウトのペナルティを課す。
盗塁は認めない。ソフトボールと同じルールにする。あんなものがあるから、ちんたらするのだ。
こうすれば、野球も見て楽しくなる。ところが、このちんたらが、実はテレビのスポンサーにはたまらない魅力なんだそうである。なぜならば、たっぷりとコマーシャルを入れられるからだ。民放がサッカーを放映しないで野球を放映する最大の理由は、ここにあるように思える。
また、見ている側でも、ちんたらと見ていたい人には、ちょうどよいのかもしれない。私のような短気はとうていダメだが。
posted by 矢島正見 at 00:00| 我流雑筆

2002年07月10日

叔母、亡くなる

 以前ここで触れたことがあるが、末期癌の叔母が亡くなった。妻の母親の妹である。妻は今日叔母の家に出かけていった。
私よりもあとで癌であることが分かり、私よりもあとで手術をしたのだが、開いてみると、既に手の施しようもない状態で、そのまま何もせず、縫合。
癌といえども千差万別。早期癌や癌モドキなら、さほど心配することはない。しかし、進行性の癌となるとそうはいかない。そして、末期癌ではもはやほとんど絶望である。
私は運が良かったのか、悪かったのか。こうして未だ生きていて、そしてわずかではあっても酒が飲めるのだから、幸せと言わなければ罰が当たるであろう。
posted by 矢島正見 at 00:00| 我流雑筆

2002年07月09日

集中ゼミ

 7月7日、日曜日でしかも七夕の日、12時から18時まで、集中ゼミを行った。
3年生全員の20名、四年生はご指名の4名、計24名の第2回目の報告である。
6時間の間、休憩はわずか3回、計30分程度、私もゼミ生も食べ物飲み物持ち込みで、食べながら飲みながらのゼミ。
6時30分からは多摩センターにてコンパ。9時近くまでつきあって、帰路に就く。
やはりかなり疲れた。まあ無事に乗り切れたが、7泊8日の地獄のゼミ合宿は、もちそうもない。
posted by 矢島正見 at 00:00| 我流雑筆

2002年07月06日

スポーツについて(12)ソフトボール

 ソフトボールはしたいスポーツのトップクラスである。野球はたとえ軟式といえども、もうきつい。そこで、ソフトボールが丁度良い、ということだ。ただし、今はできない。数年後にできることを楽しみにしている。何しろ未だ傷跡がヒリヒリと痛む。
本格的なソフトボールのピッチャーの球を打ったことがある。実に速い。当てるのがやっとだ。日本代表のピッチャーの球など、とてもではないが打てないだろう。
見るのも、前回のオリンピックで好きになった。何しろあのたくましい躰がいい。大地にどっしりと根付いている、という感じがする。それでいて機敏。いいねえ、まさに日本を代表する女だ。
何でああいう女をファッションモデルにしないのだろう。もしすれば、ファッション界の大革命になるのだが。所詮デザテナーなんてのはセンスがないのだ。だいたい、かっこいいファッションなんていう発想がダメ。たくましく生きるファッションを目指すべきである。
8月30日、31日、9月1日に、保土ヶ谷球場で、日・米・豪・中の4国ソフトボール試合が行われる。今から楽しみにしている。
posted by 矢島正見 at 00:00| 我流雑筆

2002年07月05日

スポーツについて(10)陸上

 陸上競技では、フィールドよりもトラック競技が好きだ。つまり、走るのを見るのが好きだ。100、200、1万、リレー、ハードル、等、全て好きである。(ただし、するのはダメ)。世界陸上やオリンピッククラスの競技になると、ドキドキ・ワクワクする。
フィールドはあまり好きではないが、高跳びはいい。するのでは、子供の頃、幅跳びと三段跳びはよかった。
そんなもんである。
posted by 矢島正見 at 00:00| 我流雑筆

スポーツについて(11)オリンピックと採点制スポーツ

 オリンピックは大好きだが、種目によって好きの差が大きい。嫌いなというか好きで無いというか、そんなスポーツはおしなべて採点制のスポーツである。
かっこいいと思い、本来ならば好きになって当然の体操ですら、なんかすっきりしない。
こうした採点制スポーツの多いのが冬季オリンピックである。したがって、スケートダンスも、ぼこぼこの斜面を滑ってきて(ここまではよい)、途中でジャンプして股を開くというやつも、ばかばかしくて見ていられない。
芸術点なんてものがあるが、バカじゃねえかと思う。それならば、氷の上でストリップでもさせた方がよほど納得いく。
もっとも採点制でなければ全てよいかというとそうではない。重量挙げもつまらないし、射撃などスポーツではないと思っているし、カーリングなどただの遊びである。
アイススケートのショートトラックも、あれはレースであり、かつてアメリカで流行ったローラースケートゲームそのもの。狡猾な技に長けている者・チームが勝つという感があり、不快さが鼻を突く。
この際、オリンピックはマイナーなスポーツの祭典にした方がよいのかもしれない。陸上と水泳はオリンピックから切り離して独立した方がよいだろう。主要スポーツはおしなべて独自に開催すべきである。
よって、サッカーがオリンピックにあるなんて、実にナンセンスである。たとえ年齢制限があるとしても、オリンピックサッカーは不要である。
posted by 矢島正見 at 00:00| 我流雑筆

2002年07月04日

スポーツについて(9)マラソン・駅伝

 テレビで最も見るのが、このマラソンと駅伝であろう。テレビ放映の50%以上は見ているのではないだろうか。
秋から冬にかけての日曜日の昼間に放映は集中している。そんな時間帯がよいことも原因ではあるが。
マラソン・駅伝では、オリンピックを除いては、なんと言っても1月2日3日に行われる箱根駅伝である。
これは欠かさず見ている。それどころか、中央大学の旗を持って応援に出かける。
我が家は東海道線の沿線にある。線路を隔てて向こう側が国道一号線。歩いて3分ほどで、一号線につく。区間で言うと2区と9区である。
沿道の人々の振る旗は、紙製の読売新聞の旗か報知新聞の旗である。私のはそれよりもひとまわりもふたまわりも大きい布製の中央大学の旗である。
周りの人がうらやましそうに私の旗を見ている。子どもたちは欲しそうな顔をする。でもやらない。欲しければ、一生懸命勉強して、中央大学に入学しなさい、といった顔をする。
私は愛校心の強い教員なのである。実に立派な教員なのである。なんか久しぶりに自分を褒めたなー。
posted by 矢島正見 at 00:00| 我流雑筆