2002年03月03日

闘病記(4)

 2002年1月10日、進行性直腸ガンという最終結果が出た翌日、親友の田村雅幸が亡くなった。
科学警察研究所防犯部長、我が国の犯罪者プロファイリングの第一人者、犯罪心理学の第一人者、そして私の親友、最高の相棒。
ほぼ年が同じということで、若いときから気があっていた。一緒に研究をしたのは1990年、私が中央大学に移った年のこと。非行と友人関係の調査だった。その後、帝京大学の麦島先生をキャップとした総務庁青少年対策本部の青少年と社会環境調査に加わり、1993年から2002年まで計9回の調査を共に行った。
研究でも、飲んでもいいやつだった。気があった。最高の相棒であった。
その田村が大腸ガンと胃ガンとなり、手術をしたのが3年前のこと。一時期は心配したが、田村は半年もしないうちに元気となり、また酒を飲みかわすこととなった。
私もそうだが、田村も油断していた。仕事の量をもっと減らすべきだった。そしてつきあいをもっと減らすべきだった。
昨年、尾てい骨が痛いという。坐骨神経痛だという。今ならそれが再発の症状であることが分かる、そして再発がいかに恐ろしいものであるかが分かる。しかし、その頃の私にはそうした知識はなかった。
ガンが再発したという。手術したすぐ近くだという。それを聞いても、「何だ、取り残しか」としか思わなかった。「転移」というのは大変なことだと知ってはいたが、「取り残し」は軽く見ていた。当時の田村もそうだったのではないか。
しかし違っていた。田村は死んでしまった。
12月にお見舞いにいったときは、比較的元気だった。まさか、末期とは思わなかった。田村もそんなこと一言もいわなかった。持っていった4年ものの自家製梅干しをうまそうに食べていた。私も、まだ検査すらしていなかったので、何も言わなかった。
年末に一部の検査から、進行性の直腸ガンの可能性大、という結果が出た。そこで、田村への年賀状にそのことを書いた。
正月、田村から電話がかかってきた。病院からだった。「何だ、お前もかよ」「そうなんだよ」「似てるねー」「嫌なとこが似ちゃったねー」と言葉を交わした。それが最後であった。
1月11日、田村死亡の知らせを受ける。それまでは、まだ1年は大丈夫だろう、なんて思っていた。13日、出棺。奥様から、田村愛用の帽子をいただく。仮葬場まで同行する。
鈍感なせいか、あまり感情を表出するほうではないが、これには堪えた。
posted by 矢島正見 at 00:00| 我流雑筆