2019年07月22日

『櫂』B/3(完)

 宮尾登美子の小説を読むのは、これで2度目である。最初に読んだのは『鬼龍院花子の生涯』である。この小説は、それなりにすっきりしていた。物語のテンポも速かった。
 この小説は1982年に文春文庫から出ており、1982年に映画化されているので、おそらく1983-4年に読んだものと思われる。映画での夏目雅子の「なめたらいかんぜよ」というセリフが当時評判となった。それに触発されて読んだという記憶があるのだが、映画自体は観ていない。この映画は夏目雅子を永遠の女優にした作であり、宮尾登美子を売れっ子の作家とした作である。
 今回の『櫂(かい)』は1973年に出されたものであり、『鬼龍院花子の生涯』よりも早く出版されている。しかし、『鬼龍院花子の生涯』が映画化されなかったら、そして読まなかったら、私は決して『櫂』は読まなかったであろう。
 この小説は三部作(ないしは四部作)と言われている。あとの二部の文庫本を持っている。したがって、読もうと思えばいつでも読める。しかし、読むか否かはわからない。超忙しい最中に読むのでは、さらに頭を疲れさせるだけである。藤沢周平のような短編小説がいい。(2369)
posted by 矢島正見 at 18:49| 我流雑筆

2019年07月20日

『櫂』A/3

 宮尾登美子の小説は実にねちっこい。ひと言で済むことを数頁にかけて描写する。それは自然主義の事実描写ではなく、ミクロな私的な認識・意識・感情描写である。
 それは長塚節や田山花袋とは全く違うものである。かと言って、林芙美子のような感情丸出しの私小説でもない。完璧に構成された物語が展開されている小説であるが、にもかかわらず、じれったくなるほどの描写であり、読むのが面倒になる。
 モーパッサンの『女の一生』を高校生時代に呼んで、なんでこんなものを最後まで読んでしまったのかと後悔したが、『櫂』は日本版女の一生である。男では到底書けない、女の怨念の生涯を、これでもかと言わんばかりに描いた小説である。恨んだ女の立場に立っての物語の展開であり、亭主の「岩伍」が哀れにさえ思えてくる。
 岩伍にとっては、ひどい女と結婚したものだと、おそらく後悔したに違いない。にもかかわらず、その妻(喜和)は、自分は夫の犠牲者と思い続けている。子ども(綾子)を歪んだ母子愛によって育て、まったくの反省もない。夫に従っているようでいて、我を通し続け、改めることがない。実に頑固である。
 当時(大正時代)としては、下賤の女売買(芸妓・娼妓紹介斡旋業)の男としては(岩伍はそんな中でも実に誠実であり立派である)ごく当たり前に妾をつくり、妾に子を産ませたということを、実に一大事として恨み続ける女の視点であり、時代認識とは異なる現代の風潮の認識がかぶさった、どろどろとした小説である。
 三人称の文章のきちんとした文体であって、決して私小説ではないが、一人の女の視点から描いた主観小説である。
 内容は面白いのだが、そして読ませるのだが、うんざりしてくる。まるで今はやりのこってりとしたスープのラーメンである。「そこがいい」という評論家もファンもいるのだろうが、私にとっては、細めんの醤油味で「シナそば」と称される、さっぱりとした味わいのほうがいい。横浜系ラーメンはダメである。(2368)
posted by 矢島正見 at 12:48| 我流雑筆

2019年07月18日

『櫂』@/3

 宮尾登美子『櫂(かい)』を読む。
 この本は、2度読むのを挫折した本である。購入した文庫は平成11年6月となっているので、それ以降に2度挫折したことになる。最初の、楊梅(やまもも)売りのことから始まり、緑町の光景を描いた場面まで読んで、2度とも挫折した。それ故、「やまもも」という言葉だけ記憶に残った。
 今年の2月中旬から3度目の挑戦として、読み始めた。そして4月初旬でようやく読み終わった。50日ほどかかって、読み終えた次第である。
 これほど長い期間をかけて読んだ本はごく稀である。大概は挫折して終わっている。実は、今回も挫折するのではないかと思っていた。
 2月中旬から実に忙しくなった。それが4月になっても続いた。こういうときは、いつも挫折していた。(2367)
posted by 矢島正見 at 15:03| 我流雑筆

2019年07月14日

多忙終焉後

・『社会病理学とは何か』の私の執筆部分の原稿見直し…これは終了しました。
・『自分史』の見直しと加筆…これも終了しました。
・『平成の青少年問題』「第U部 第6章」の執筆…これからです。
・『生活機能障害社会病理学』の見直し…これからです。
・『犯罪社会学』…これからです。(2366)
posted by 矢島正見 at 23:04| 我流雑筆

2019年07月11日

多忙終焉

 2月の下旬から忙しくなった。それが7月の初旬まで続いた。およそ140日間である。それがようやく一段落した。
 しかし、もちろん暇になったというわけではない。週3日ほど出かけなくてはならない。その合間にこれからすることは、
・『社会病理学とは何か』の私の執筆部分の原稿見直し
・『自分史』の見直しと加筆
・『平成の青少年問題』「第U部 第6章」の執筆
・『生活機能障害社会病理学』の見直し
 これらが終わってからようやく『犯罪社会学』の執筆にとりかかる。1月に執筆を中断したままであったものの、再開である。この再開をもって、ようやく忙しさから解放された、と言えるであろう。
 しかし、その間に、(一財)青少年問題研究会の雑務をはじめとして、いろいろな用事をしなくてはならない。(2365)
posted by 矢島正見 at 22:14| 我流雑筆

2019年07月05日

『幕末史』

 半藤一利『幕末史』を読む。本書は、12回にわたっての慶應丸の内シティキャンパスでの特別講座に基づいて書かれたものである。したがって、会話体の文章となっている。それゆえに、さらに読みやすい。
 私は彼のファンである。実にわかりやすく、小気味よい。右でも左でもなく、平和主義イデオロギストでもなく、個人の悲しみや怒りを極大化し心情的共感に訴える執筆家でもない。また、無味乾燥な重箱の隅をなめまわすような現在の歴史研究者でもない。

 彼は、日清から日露戦争、その後の軍国主義、日中戦争を書き、敗戦に至るまでの歴史を、さらに昭和史を書き、そして今度は、歴史をさかのぼり、『幕末史』を書いた。
 彼の歴史観はやや司馬遼太郎のそれに類似しているが、異なる。幕末―維新を必ずしも肯定していない。それどころか、戦前までの近代日本史を「薩長史観」として捉える。さらに、幕末から日清・日露戦争を経て、太平洋戦争までを連続した・一貫した一つの歴史として描く。
 言い換えれば、軍国主義・帝国主義・覇権主義・侵略主義として歩んだ日本近代史の最初のスタートは幕末にある、太平洋戦争を起こしたのは薩長の末裔・後裔である、という史観であり、私もそれに同感する。
 彼の一文で、その一断面を言い当てることが出来ると思う。以下、引用する。

 「明治22年に憲法ができたとき、すでに統帥権は独立していましたから、軍隊に関する憲法の条項はたったの2条しかありません。よろしいですか、国の基本骨格のできる前に、日本は軍事優先国家の道を選択していたのですよ。」なお、それを策した中心人物は山縣有朋であるという。

 「西軍(薩長土肥等の軍、後に官軍と呼ばれる)の戦死者は残らず靖国神社に祀られて尊崇され、東軍(会津藩、桑名藩、長岡藩、等)の戦死者はいまもって(平成24年現在)逆賊扱いでひとりとして祀られることはない。靖国問題が騒がれたとき、そのことの不条理を一所懸命に訴えたが、だれにも気にもとめてもらえなかった。歴史は公正でなければならないのに、いまだに薩長史観が世にまかり通っているのは残念でならない。」(NHKの大河ドラマの幕末はまさに薩長史観である。)(2364)
posted by 矢島正見 at 15:21| 我流雑筆

2019年07月02日

大正大学OBOG会

 大正大学文学部社会学専攻の86年卒が中心になって、その前後卒も交えて、約30名が集い、私の退職記念講演・懇親会が行われた。
 なつかしい顔ぶれがそろった。32〜34年ぶりの再会という人も多くいた。
 懇親会は盛り上がり、ほぼ全員と会話が出来、ほぼ全員の記憶がよみがえった。
 二次会もほぼ全員が出席した。さらに盛り上がった。帰宅は午前様であった。(2363)
posted by 矢島正見 at 23:04| 我流雑筆

2019年07月01日

ビッグバン前

 ある名もない研究者は考えた。ビッグバンの始まりについてである。
 現宇宙にはおよそ1兆個の銀河があるという。そして各銀河の中心には超巨大なブラックホールがあるという。つまり、現宇宙には1兆個の巨大ブラックホールがあるということである。今まで観測された最大質量のブラックホールは太陽質量の約100億倍であるという。

 その宇宙には巨大な一つの銀河が存在していた。現宇宙のすべての銀河を集めた以上のとてつもなく超巨大な銀河である。そしてその中心にはとてつもなく超巨大なブラックホールが存在していた。太陽質量の約100億倍のさらに1兆倍の質量をもつブラックホールである。
 ここでは重力崩壊が完ぺきなまでに起こるので空間も時間も無くなる。超巨大な銀河は次第に超巨大なブラックホールに吸い込まれていき、銀河全体がブラックホールと化す。そして巨大なエネルギーの小さな(太陽系ほどの)塊となる。
 縮小が最高点に達した時、大爆発が起こった。それがいわゆる現代宇宙物理学で言うところの「ビッグバン」である。前宇宙の質量は、その際、ダークマターとして新宇宙に拡散された。そして新宇宙では新たに陽子・電子・中性子・素粒子がつくられた。

 ある名もない研究者が、ノーベル賞を獲得したか否かは未来のことであるので、定かではない。少なくとも現時点ではノーベル賞にはなっていない。(2362)
posted by 矢島正見 at 12:15| 我流雑筆

2019年06月27日

『宇宙はなぜブラックホールを造ったのか』

 谷口義明『宇宙はなぜブラックホールを造ったのか』(光文社新書)を読んだ。
 この類の本は私の好きな領域である。正直言って、犯罪学のお堅い本よりも面白い。
 いつもならば一日で読めるのだが、今回は3日かかった。もたもたしていたこともあるが、かなり難解な書であった。一般者向けの書ではあるが、専門がちりばめられた書でもあった。

 しかし、やはり面白い。その一例。
 宇宙が始まってから138億年。意外と宇宙は若い。いや、幼い。人の年齢であるならば乳児期である。
 太陽質量の(つまり太陽と同じほどの質量をもつ)ブラックホールは10の66乗年で消滅する。
 銀河質量(太陽の1000億倍)のブラックホールは10の99乗年で消滅する。
 銀河団質量(太陽の1000億倍の1万倍)のブラックホールは10の111乗年で消滅する。
 ここで宇宙は死を迎える。随分と先のことである。

 宇宙の最後は「ビッグフリーズ」と言われており、拡大化を遂げた全宇宙空間が絶対温度と化す、と言う。
 その前に、太陽は今から50憶年後に消滅する。太陽程の恒星の寿命は100憶年であるので、今の太陽の年齢はちょうど寿命の半分に達したということである。もちろん、太陽の消滅は地球の消滅でもある。
 さらに50憶年後頃に、天の川銀河とアンドロメダ銀河が合体する。超巨大な銀河が発生し、超巨大なブラックホールが出来上がるということである。
 1000億年後、宇宙の拡大化に伴って、周りの宇宙は観られなくなる。肉眼で見えるほどの近くに星が無くなってしまうからだ。つまり、天空に星はなくなる。ただの暗黒の夜であるが、その頃太陽系は無くなっているので、私たちにとってはどちらでもよいことだ。

 10の34乗年後、原子は死滅する。原子にも生死があったのだ。
 10の100乗年後、ダークマターのエネルギーが未だ存在すると仮定すると、未だ宇宙は存在する。しかし、上記したように全宇宙空間が絶対温度となる原子すら死滅した宇宙となる。ダークマターエネルギーだけがある宇宙ということか。

 学問のスケールがすごい。重箱の隅を爪楊枝でつつくような、涙無くして語れないという人間愛イデオロギーで包まれた超ミクロの学問はげんなりするが、とは言え、こうした超マクロの学問は私の大脳ではまったく着いて行けない。
 しかし、だからこそ、ファンタジーがあり、楽しい。男のファンタジーは人間の喜怒哀楽を超えた(もっと言えば、人類の滅亡など関係ない)巨大なスケールの時空間に在り、女のファンタジーは喜怒哀楽の関係性の真っただ中のミクロな感情世界にあるようだ。(2361)
posted by 矢島正見 at 22:20| 我流雑筆

2019年06月19日

『変身』B/3(完)

 私としては、筒井康隆、星新一、小松左京等の日本のSF小説のほうがよほど傑作だと思う。「変身もの」であるならば、小松左京の『日本アパッチ族』のほうが傑作である。
 彼らもその背景にきちんとした思想を持っている。ただ、その思想を背後に隠しているのだ。それが小説というものであろう。思想が前面に出て来ては、もはや小説ではない。プロレタリア文学が陳腐であったのはそのためである。

 ある特定の地域の特定の時代(具体的には、西欧の19世紀後半から20世紀前半)が生み出した「純文学」というものが廃れるわけである。「純文学こそ文学」と思っていた明治・大正・昭和前半の日本青年の姿は、今の日本の青年にはないし、なくてよい。(2360)
posted by 矢島正見 at 23:00| 我流雑筆

2019年06月17日

『変身』A/3

 どうも私はこうした分析をしてしまう研究者としての癖がある。
 もし、本当に巨大な虫であるならば、一大ニュースである。現存するはずのない巨大な虫が現れたのだから、警察どころか軍隊が出動するであろう。新聞記者が殺到するであろう。各国から生物学者がやってくることであろう。それが現実である。
 しかし、小説の中の現実はまったくそのようなことはない。と言って、抽象性の高い記述ではなく、極めて具体的な日常が極めて妥当な日常的感覚で展開されている。グレーゴルは会社を首となり、生活が苦しくなり、退職していた父は働きだし、妹も働きだし、という現実が描かれる。それでも生活費が足りないので、余っている部屋を人に貸したりしている。

 毎日、食事(エサ)を与えて、部屋を掃除する妹。けなげである。しかし、大小便という排せつ物の掃除は描かれていない。どうしたことであろうか。最も重要な処理をしないで、部屋掃除をしているのである。グレーゴル自身、虫となった自分の睡眠や食事のことは述べているが、排泄のことは述べていない。「ウンコはどうした」と言いたくなる。

 父親の投げたリンゴが背中に突き刺さり、それが腐り化膿して、また衰弱で死んでいく。これは虫が鎧のような固い背をしているということと矛盾している。
 ここは、腹にあたり、蛇腹のような横の溝が傷つき、リンゴの汁が溜まり、腐り、化膿して死んだほうが現実的である。グレーゴルの虫は、死ぬまで一度も風呂に入っていないのだから、また衰弱していたのだから、傷口が腐り、死んでもおかしくない。

 こうした些細なところで、リアリティがない。思想小説の大きな欠点であり、思想にかぶれた人たちは大歓迎するであろうが、流行の思想が去って行くとたちまち陳腐と化す。
 「名作」「傑作」と言われているようだが、ニヒリズム・実存主義・不条理思想大流行の西欧の20世紀初頭という時代思潮そのものなのである。まさに典型的な思想小説である。あと50年評価がもつかどうか疑問である。(2359)
posted by 矢島正見 at 10:47| 我流雑筆

2019年06月14日

『変身』@/3

 カフカ『変身』を読む(注:この小説を読んだのは2月前半のことである。)。
 ある日、グレーゴル・ザムザは、目を覚まして、自分が巨大な虫になっていることを発見する。鎧のような固い背、アーチのように膨らみ、横に幾本かの筋のついている褐色の腹、何本もの細い足の虫である。

 「巨大な虫」とは、おそらくグレーゴルほどの大きさであろう。私のイメージとしては、百足とゴキブリを足して2で割ったような感じである。カフカはこの虫の絵を描くことを拒否したという。それは正解であった。ビジュアル化したら、たちどころに、「何だこんな虫か」ということになる。ここは読者の想像に任せるしかない。

 しかし、文章では「発見した」とある。つまり、この巨大な虫はグレーゴルの自己認識である。父も母も妹も、グレーゴルが虫のようになったという意識は持っているが、それでも、その虫を「息子・兄」と認識している。したがって、グレーゴルが変身してしまったことは確かだが、グレーゴルの描く虫とは限らない。いや、上記のグレーゴル自身が発見した虫であるならば(つまり、完全な虫であるならば)、父も母も妹も決して「息子・兄」と認識し得るはずがない。もしかすると虫には顔が付いていて、顔はグレーゴルそのものだったのかもしれない。
 とすると、顔はグレーゴル、躰はゴキブリ、脚は百足、ということになる。これですっきりする。(2358)
posted by 矢島正見 at 15:11| 我流雑筆

2019年06月10日

『サイゾー』

 月刊『サイゾー』が毎月送られてくる。したがって、毎月拝読させていただいている。
号によって、私の興味関心を引き付ける度合いは異なるが、短くても丸一日、長いときは丸二日読み続けている。
 6月号は随分と読むものが多かった。当然、丸二日かかった。
 「資本主義の父に〜」「裁判で依存症が〜」「労基の是正勧告に〜」「2040年エネルギー戦争〜」「世界を監視する〜」「三代編集長で〜」「超・人間学〜」「日本経済「平成の失敗」〜」「五所純子の〜」「伊藤文学の〜」等である。
 特に面白かったのは「三代編集長で〜」ある。これで「サイゾー」が霧隠才蔵であることが判明した。私の想像通りであった。『サイゾー』という雑誌がこれでうっすらとではあるが分かった。
 なお、面白いことを見つけた。雑誌の目次タイトルと本題のタイトルとが異なっていることだ。例えば目次では「三代目編集長で振り返る月刊サイゾー20年の軌跡」となっているが、タイトルは「歴代編集長がユル〜く振り返る 生誕20年を迎えたサイゾーの闘争史」である。(2357)
posted by 矢島正見 at 12:37| 我流雑筆

2019年06月04日

超異常

 私もスマホを持っている。大したものである。
 しかし、私の場合、通常は電源を切っている。
 こちらが使用しない場合に電源を入れている人の気が知れない。使うときに使えばよいのだ。なにも、外からやってくることを期待して、もしくは受信を義務として、電源を入れ続けている必要はない。
 一日一度(気になる人は、朝・昼・晩・就寝時の4回)電源を入れて確かめればよいだけのこと。私の場合は、二日に一度か、三日に一度ほど確かめている。もちろん、LINEだとか、Twitterだとか、Facebookだとか、やっていない。
 したがって、充電もひと月半に一度やればそれでよい。
 ところが、異変が起きた。大異変である。
 昨年の11月に私のところに来たメールは3通、12月は2通。今年の1月に私のところに来たメールは4通、2月は3通(なお、各月の1通は今月の料金通知)。
 今までは、こんなものであった。ところが、3月は16通、4月は何と84通、5月はやや落ち着きだして34通であった。
 こうなると、毎日一度は電源を入れて見ることになる。充電も二週間に一度ほどしなくてはならなくなる。
 まさに大変動であり、超異常である。さて、6月どうなるのか。(2356)
posted by 矢島正見 at 13:30| 我流雑筆

2019年05月29日

『司法犯罪心理学』

 岡本吉生編『司法犯罪心理学』を読む。
 『公認心理師の基礎と実践』(シリーズ全23巻)の19巻にあたる。公認心理師とは、2017年9月に施行された国家資格認定の心理師である。「心理士」ではなく「心理師」である。心理学は、今や巨大な学問と化し、専門職を多出させている。大したものである。
 内容はまさに国家資格試験のためのテキストである。執筆者は、日本犯罪心理学会のメンバーと日本更生保護学会のメンバー15名の豪華執筆陣である。(2355)
posted by 矢島正見 at 23:42| 我流雑筆